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2010年7月

白山スーパー林道(白山林道)(はくさんスーパーりんどう)

白山スーパー林道(白山林道)(はくさんスーパーりんどう)は、石川県白山市(旧尾口村)と岐阜県大野郡白川村を結ぶ、全長33.3キロメートルの有料道路である。森林開発公団(当時)が特定森林地域開発林道事業により開設したスーパー林道のひとつ。
1977年8月26日一般供用開始。国道360号の不通区間を結ぶ形となっており、石川県・岐阜県間を他県を通らずに通行できる唯一の車道である。

利用案内

白山スーパー林道は、白山国立公園を通過するため、夜間は通行止めとなっている。また、11月10日(気象状況などにより毎年変動する可能性がある)から翌年6月上旬頃まで冬期閉鎖である[2]。
6月 - 8月(7:00 - 18:00)閉門 19:00
9月 - 11月(8:00 - 17:00)閉門 18:00

通行料金

2010年現在。ETCやクレジットカードでは精算できない(かつて道路関係四公団が発行していたハイウェイカードも利用できなかった)。また、石川県道路公社が運営している能登有料道路や能越自動車道(田鶴浜道路)で利用できるプリペイドカード「みちカード」も利用できない。
普通自動車 : 片道 3,150円 往復 4,890円
マイクロバス : 片道 9,370円 往復 14,670円
大型バス : 片道 21,000円 往復 32,620円
軽自動車 : 片道 2,540円 往復 4,070円
有料区間内ではUターンすることができる。この場合は片道料金となる。

通行規制

冬期通行止 11月10日(気象状況などにより毎年変動する可能性がある) - 6月上旬
時間雨量 25ミリメートル
24時間雨量 70ミリメートル
連続雨量 80ミリメートル
濃霧視界 20メートル以下
最大風速 15メートル毎秒
積雪・凍結時
時速20キロメートル毎時規制

^ 二輪車、原付、自転車は通年、通行禁止となっている。歩行者も通行禁止であるが、有料区間内で行われるウォーキングイベント開催時には、一部区間が歩行者天国となり、歩行者に限り開放される(このイベント時における石川県と岐阜県の通り抜けは不可能)。

^ ただし、無料区間は時期と区間によっては通行可能である。白山市尾添の起点と中宮温泉のある白山市中宮温泉の区間(約4.4km)は、4月下旬頃から11月末頃まで通行可能。また、白山市尾添の起点から石川県白山自然保護センター ブナオ山観察舎の麓までの区間(約300m)は積雪期でも通行可能。

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『踊る大捜査線』(おどるだいそうさせん)

『踊る大捜査線』(おどるだいそうさせん)は、1997年1月 - 3月にフジテレビ系で放映された織田裕二主演の連続テレビドラマ。その後シリーズ化されテレビドラマ・映画・舞台で展開された。さらにその後も「踊るレジェンド」としてテレビドラマや映画のスピンオフ作品が作られている。
2008年3月31日、東京臨海副都心で東京湾岸警察署の開署式が行われ、それに合わせて映画版踊る大捜査線シリーズの続編製作が発表された。公開日は2010年7月3日。

従来の刑事ドラマのように事件を追うだけでなく、警察の抱える様々な内部矛盾、特に警察組織の厳格なキャリア制度の問題も大きなテーマとなっている。また、警官のことを「刑事」または「デカ」ではなく「捜査員」と呼ぶことが多く、加害者のことを「犯人」または「ホシ」ではなく「被疑者」と呼ぶことが多いなどより現実に忠実な用語法や、「発砲許可」、「パトカー手続き」、「本庁接待」など、今までの刑事ドラマでは描かれてこなかった日常の側面の描写を重視している。これらの事を描くため報道部の事件記者をアシスタントプロデューサーとして招聘している。

警察ドラマ
織田裕二演じる青島俊作巡査部長が主人公の「警察ドラマ」。銃撃戦や犯人逮捕までを追う従来の刑事ドラマとは異なり、警察機構を会社組織に置き換え、署内の権力争いや本店(=警視庁)と支店(=所轄署)の綱引きなど人間味あふれる警察官の姿を、湾岸署を中心に描いている。

青島刑事以外にも、恩田すみれ(深津絵里)・和久平八郎(いかりや長介)・真下正義(ユースケ・サンタマリア)などの湾岸署署員や事件の被害者でのちに刑事となる柏木雪乃(水野美紀)、また、湾岸署の署長ら三人組(通称『スリーアミーゴス』)、更には警察庁のキャリア・室井慎次(柳葉敏郎)らにもスポットライトが当てられる、いわゆる「群像劇」の要素が強いドラマであり、それが本作の魅力の一つになっている。
またドラマ内外の事項と連動する、いわゆる「ハイパーリンク」をふんだんに盛り込んで観客を何度も楽しませる手法を取り入れる一方、ストーカー・ドメスティックバイオレンス・少年犯罪問題・監視システムなど今日的社会問題を比較的早く物語に反映している。

当初の踊る大ラブストーリー計画
踊る大捜査線は、放送開始当初から高視聴率など期待されていなかった。しかし、製作者サイドはゴールデンドラマということもあり余りにも数字(視聴率)が悪ければストーリーの流れを変えるという枠組みを残しての脚本ということになった。大まかな設定は放送時と大差ないのだが、キャラ設定やストーリー設定に多少の柔軟性を残しながら描かれていった。

初期の構想段階では、和久の娘をすみれに設定し、その和久宅に居候する青島との恋愛も一案にあったそうである。その後は、青島と雪乃、室井とすみれの二本立てでの恋愛路線、また、青島と雪乃とすみれの三角関係も構想されている。実際、青島・雪乃間での恋愛に発展しそうな伏線や、すみれが青島に惹かれてゆく描写もちりばめられており、室井とすみれの二人きりのシーンも幾度かあった。

だが、この恋愛ドラマ路線は、第1話が放映され視聴率が出た時点で取りやめが決定された。脚本家・君塚良一が著書「テレビ大捜査線」で述べているところでは、同じクールでフジテレビが放映していた恋愛ドラマ(月曜9時枠「バージンロード」のこと)の視聴率が比較的よかったため、同じ恋愛ものをぶつけるのは足の引っ張り合いになりかねないという亀山プロデューサーの判断によるとのこと。このとき第4話までは脱稿していたので第5話からのプロットが恋愛の要素を排したものに変更され、以後は警察ドラマとしての視点に重点を置いていくこととなり、そこで雪乃の設定に大幅な変更が加えられている(血液型まで変更された)。


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株式会社ジャパンネット銀行(英称:The Japan Net Bank, Limited.、呼称:「Japan Net Bank(ジャパンネットバンク)」、略称:JNB)

株式会社ジャパンネット銀行(英称:The Japan Net Bank, Limited.、呼称:「Japan Net Bank(ジャパンネットバンク)」、略称:JNB)

2000年9月19日にさくら銀行(現・三井住友銀行)、住友銀行(現・三井住友銀行)[2]、富士通、日本生命保険、東京電力、三井物産、エヌ・ティ・ティ・ドコモ、NTT東日本の出資により設立。同年10月12日に開業。
第二次世界大戦後初めて日本の銀行法第四条による普通銀行免許を取得。「新たな形態の銀行」第一号とされる。
2006年3月30日、同行・三井住友銀行・ヤフー株式会社(Yahoo! JAPAN運営会社)の3社で提携の基本合意をし、6月29日に資本・業務提携を締結。同年9月29日には第三者割当増資を行い、普通株式を三井住友銀行(払込価額87億円)とヤフー株式会社(同45億1500万円)に対して、取得条項付無議決権株式をヤフー株式会社(同212億8500万円)に対して、それぞれ株式を割り当て、追加出資を受けた。これにより、ヤフーが三井住友銀行と同じ40%の出資をする筆頭株主となった(ただし、議決権ではヤフー10.4%、三井住友銀行59.7%)。提携の発表がなされた当初は、金融持株会社を三井住友銀行とヤフーで共同で設立し、その子会社とすることも検討されていたが、その後進展はなく、現在に至っている。

個人間および、個人と法人間のインターネットを利用したオークションやネットショッピングなどによる小額の決済業務、証券会社・商品先物取引会社・FX業者などの口座への入出金等の決済業務に特化している。例えば、Yahoo! オークションと提携し、落札後の決済を行なえるようにするなどである。他にも、投資信託の販売業務、カードローンなどの個人向け融資業務にも注力している。また、2008年6月19日にはtoto(サッカーくじ)の販売が開始された(イーバンク銀行(現:楽天銀行)に次いで2行目)。

ジャパンネット銀行の口座間の振込手数料は52円、他行宛振込手数料は3万円未満が168円、3万円以上が262円と、一般の銀行に比べ比較的低廉に設定されている。さらに、Yahoo!ネットバンキングによる振込手数料は無料である。なお、本店窓口での手数料は、ジャパンネット銀行内の口座宛振込手数料は3万円未満が630円、3万円以上が1,050円、他の金融機関宛振込手数料は3万円未満が1,260円、3万円以上が1,680円となる。割高である事や窓口が1店舗のみであることから、利用者は一部に限られると言える。

預金取引などを扱う窓口のある支店店舗は一切なく、本店営業部のみとなる。支店そのものはワンタイム口座専用支店や各種サービス専用の支店、また一般口座として2009年9月17日開設(12月3日受付開始)の「すずめ支店」などがあるが、店舗所在地は本店営業部と同一である。現金の入出金は、三井住友銀行・アットバンク(福岡県内を除く。管理行が西日本シティ銀行のため。以下本項において同じ)・セブン銀行・イーネット・ゆうちょ銀行のATM網を利用して行うが、手数料が必要となる。ただし、取引条件によってはATM利用手数料が無料となる。詳細は後述。なお、セブン銀行・ゆうちょ銀行以外の提携ATMでは三井住友銀行のATMネットワークを経由しての利用となるため毎週日曜日21:00~翌月曜日7:00の間は利用できない。

取引状況はネットバンキング上で照会できるため、預金通帳はなく(月ごとの利用明細送付は有料で可能)。原則ネットバンキングによる取引となる(一部取引については本店窓口でも取り扱う。また窓口でしか出来ない処理もある)。

当初の口座取扱店は本店営業部のみであったが、2006年10月26日、Yahoo!ネットバンキング開始に伴い、ワンタイム振込専用の支店が開設された。この支店名には星座名が採用された。他にも各種サービスのための専用支店が開設され、樹木や鳥類から支店名が採られている。一般口座も、2009年9月17日に新たにすずめ支店が開設(実際の稼働開始は、2009年12月3日以降受付分となった)され、それ以外にも鳥類から採った支店がいくつか準備されており、新規支店は今後も口座保有者の増加に伴い逐次開設される予定となっている。

口座数は日本初のネット銀行として当初はトップを保っていたが、2005年[3]にイーバンク銀行(現・楽天銀行)に追い越されている。
かつてはiモード対応携帯電話からJNB相互間の振込をする場合の振込手数料10円(1回あたり)を売りにしていたが、EZwebおよびJ-スカイ(旧ボーダフォンライブ!、現Yahoo!ケータイ)対応に伴い、2003年4月からはパソコンからと同額の52円に値上げした。

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福山 雅治(ふくやま まさはる、1969年2月6日 - )

福山 雅治(ふくやま まさはる、1969年2月6日 - )は、日本のシンガーソングライター、俳優、ラジオDJ、ギタリスト、音楽プロデューサー、作詞家、作曲家、写真家。長崎県長崎市出身。長崎ふるさと大使。所属事務所はアミューズ。所属レコード会社はユニバーサルミュージック。公式ファンクラブの名称は“BROS.”。血液型 O型。身長180cm。体重71kg。靴のサイズ27.5cm。水瓶座、酉年。

1969年 長崎県長崎市で誕生。
私立宝珠幼稚園、長崎市立稲佐小学校、長崎市立淵中学校、長崎県立長崎工業高等学校卒業。
1987年 高校卒業後、4か月間の地元でのサラリーマン生活を経て、18歳で少女隊のバックバンドを目指して上京する。当時は、昭島市緑町に在住し、福生の横田基地の近くにある材木屋でバイトをしていた。
当時の愛車は、いすゞ・ジェミニ。「アルバイト先の木材屋付近の交差点でドリフトに失敗し、縁石に激突。縁石には、まだ、当時の傷が残存する」と福山は述べている。
1988年 “アミューズ・10ムービーズオーディション”に合格し、映画『ほんの5g』で俳優 デビュー。8月15日、新宿のライブハウスで、東京での初ライブ。観客はゼロだった。
1990年 シングル『追憶の雨の中』で歌手デビュー。当時のキャッチフレーズは、“イナカモン、バイ。”。
1991年 TBS系ドラマ『あしたがあるから』でテレビドラマデビュー。
1992年 ニッポン放送系『福山雅治のオールナイトニッポン』スタート(現在は『福山雅治のオールナイトニッポンサタデースペシャル・魂のラジオ』)
1993年 フジテレビ系ドラマ『ひとつ屋根の下』で人気に火がつき、歌手としてもブレイク。
1993年 シングル『MELODY』でNHK『第44回NHK紅白歌合戦』出場、紅白初出場を果たす。
1995年 フジテレビ系ドラマ『いつかまた逢える』でドラマ初主演。
1996〜1997年 活動休止(しかし、俳優としては『ひとつ屋根の下2』に出演、ラジオも続けていた)。
2000年のシドニー五輪、2004年のアテネ五輪、2008年の北京五輪でテレビ朝日のオフィシャルカメラマンとして活躍。
2008年 出身地・長崎県長崎市の魅力を内外に発信する「長崎ふるさと大使」に就任。
2008年 『容疑者Xの献身』を全国ロードショーする前の10月1日に、長崎市のTOHOシネマズ長崎で柴咲コウと一緒に全スクリーンを使い、先行上映会と舞台挨拶を実施。
2009年 『第60回NHK紅白歌合戦』に16年ぶり2回目の出場。『はつ恋』を長崎市のグラバー園で歌う。
2010年1月〜11月に放送されるNHK大河ドラマ『龍馬伝』にて主役・坂本龍馬を演じている。

出生時の体重は4000g強の巨大児であった。
幼稚園の頃は、女の子に声をかけられただけで泣き出すほど内気だった。
小学生の頃、空手を習っていたため腕っ節が強く、友達と一緒になって他のクラスの子と喧嘩したり、授業中に友達と2人で失踪するなどして、よく先生に叱られていた。4年生の頃、地元のソフトボールチームに入団。エースピッチャーとして活躍するが、右肩を故障してしまう。家計が苦しかったため、5,6年生の頃からアルバイト(新聞配達)をしていた。

小学6年生のころ、水泳教室に通っていた。しかし、やる気がなくてすぐやめてしまった。
子供の頃は今のようなシンガーソングライターとしての成功は無理だと思い、音楽の教師になりたかったらしいが家庭の状況(金銭面)から断念した[2]。
父親が被爆者なので「自身は被爆二世である」と発言したことがある。2009年8月9日の『福山雅治のSUZUKI TALKING F.M.』ではその日が長崎原爆の日であることからこの事に触れ、「父親はもろに被爆した。母親も厳密に言えば被爆していることになり、僕は被爆2世ということになる」と語っている[3]。
中学生の頃、サッカー部に入部しようと思っていたが、兄から吹奏楽部に誘われ入部。ホルンを担当し、部長も務めた。
兄の影響でギターを弾き始め、2年生の頃、友人とバンドを結成。卒業式前日に、学校の体育館にて最初で最後のライブを行う。
それとは別に、兄ともバンド“LAR”を組んで、THE MODS、A.R.B.などのコピーをしていた(兄はドラム、福山はギター)。当時、高校に進学する気はなく、卒業したら東京に行くつもりであったが、周囲がみんな高校に進学をするということに気がつき、長崎工業高校に進学する。ちなみに高校のときは茶道部に所属していた。入った理由は『お菓子が食べられるから』。[4]。
近くの女子校でファンクラブが作られるほど人気があり、バスで学校に通っていたため“バス停の君”と呼ばれていたという。
浜田省吾、サンハウス、THE MODS、A.R.B.、SION、ブルース・スプリングスティーン らの影響を受けた。デビューアルバム『伝言』は、福山本人の希望もあって、A.R.B.のギタリスト白浜久のバックアップを得て制作されている。また、SIONに関しては、「SORRY BABY」をカバーしたり、シングル『たまには自分を褒めてやろう』で共演するなどしている。
学生時代からラジオを愛聴していた。『プレゼントアワー』という、長崎のローカルAM放送局NBCラジオが日曜深夜に放送していた番組のリスナーだった。在学校名や実名をあげて個人の情報を依頼・提供し合うというコーナーがあり、自分の名前があがらないかと毎週楽しみに聴いていたが、結局高校を卒業するまで名前が読み上げられることはなかった。
高校卒業後、父親が他界しており、兄も自衛隊に入隊していたため、母親を長崎にひとり残して東京に行くことができず、長崎で就職する。自宅から徒歩5分で、学科試験がないという理由で、電機会社(システック井上)の営業職に就くが、仕事に身が入らず、営業で会社を出ると、海岸に車をとめて毎日文化放送の『吉田照美のやる気MANMAN!』を聴いていたという。
就職して数ヶ月後、音楽への未練が断ち切れず1987年8月31日付けで会社を辞めて上京することを決意。初任給で購入した400ccのバイクを売却し、20万円を手にする。
会社を辞めた日、母親に、会社を辞めて東京に行くことを伝えると、あっさり承諾された(実は、母親は福山が辞表を書いていたことを知っていたため、あっさり承諾したのだという)。
1987年9月の夕方、上京する時に会社の先輩、高校時代の同級生、当時の彼女が長崎駅に見送りにやってきた。上京する本当の目的を周囲の人間に恥ずかしくて言えなかったので、古着屋になると言って出て来たという。長崎駅から寝台に乗って上京。当時、福山は20万円で半年間生活出来ると思っていたらしい。
(高校の3年間同じクラスだった)同級生が先に上京していたため、上京の一週間前に連絡を入れ、同級生の家に居候させてもらう。ピザ屋の配達、日雇いの運送屋のアルバイトを経て、近所の材木屋に勤め、ようやく生活が落ち着く。
1987年秋、その当時、たまたま見ていたテレビ番組『美少女学園』の中で、“アミューズ10ムービーズオーディション”の告知を見て、俳優志望ではないのにもかかわらず、オーディションを受けることを決意、居候先の同級生に写真を撮ってもらい応募する。電話もなかったので、アミューズからの連絡はすべて、大家さんを通して郵便物がくるようになっていたという。
オーディションの面接で、特技を聞かれた際、「材木担ぎ」と答え、泉谷しげるの「春夏秋冬」をギターの弾き語りで披露する。最終選考の詳細を告げる連絡がなかなか来なかったため、落選したと思い、落ち込んだ福山は最終選考のある日、気分転換に車でドライブへ出かけるが、16号線のど真ん中で車のマフラーが落ちてしまい、家へ引き返す。自宅前でマフラーを取り付けているときにアミューズから「至急連絡されたし」の電報が届き、急いでオーディション会場へ向かい「春夏秋冬」を弾き語りし、見事合格する。
オーディション合格後、養成契約期間ということで一年間に3万円という給料を提示される。都心に引っ越さなければならなかったため材木屋のアルバイトを辞める。この材木屋は強く思い出に残っているようで、現在でもラジオで話すことがある。
上京当時のバイト先のとあるバーでゴミ出しの際に発見した泥酔状態の女性を、自宅へ拾って帰ったことがある。しかし、後に「まあ、嘘ですけどね」と冗談を言っている。
AVは買わなくてもインターネットでサンプル動画を観るだけで十分だという。最近ほとんど観ていないそうだが、AV女優のRioが好み。魂のラジオにて、リスナーから「Rioの握手会に参加した際、福山さんがあなたのことをよくラジオで話しているので来ました、と言ったら、すごく喜んでいました」というメールを受け取り、「気が利く!でかした!」と大喜びした。

端整なルックスから女性に圧倒的な人気を誇る。女性の好きな有名人アンケートにおいて必ずといっていいほど上位にランクされている。また、an・anの好きな男ランキングにおいては2008年の時点で10年連続2位を獲得しており(ちなみに1位は木村拓哉)、毎年自身のラジオ番組でも取り上げている。下着メーカー「トリンプ・インターナショナル・ジャパン株式会社」が2005年に行った「ホワイトデーに関するアンケート」で「ホワイトデーに下着を贈られたい男性有名人は?」という質問で第1位、また「自分の下着を一緒に買いに行きたい男性有名人は?」という質問で第3位に選ばれた。

島田紳助は「日本の女性は福山雅治に支配されている」と評している。

大のバイク好きとして知られ、『福山エンヂニヤリング』の番組内でホンダ・ドリームCB400FOURを購入し、テリー伊藤や伊藤英明と一緒にツーリングに行くなどしており、バイクチーム“有楽町crazy horse”を私設している。
2010年に放送される大河ドラマ『龍馬伝』において主役・坂本龍馬を演じる為の役作りのため、髪を伸ばしたり日焼けで肌を黒くしたりしている。

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『めちゃ²イケてるッ!』(めちゃめちゃいけてるっ!)

『めちゃ²イケてるッ!』(めちゃめちゃいけてるっ!)は、1996年10月19日からフジテレビ制作・FNS系列で、毎週土曜日の19:57 - 20:54(JST)に放送されているバラエティ番組である(一部系列局を除く)。字幕放送(2008年2月23日 - )、ハイビジョン制作。正式タイトルは『めちゃ²イケてるッ! -What A COOL(稲妻マーク)we are!-』( - ホワット・ア・クール・ウィー・アー)。通称「めちゃイケ」。ほとんどの新聞のラテ欄では、「めちゃ×2イケてる」若しくは「めちゃ×2イケてるッ!」と表記される。

2010年
1月9日、新春スペシャル(副題「テレビの力は超無限大 お年玉自腹SP!!」)で「紅白歌へた合戦スペシャル」の優勝チーム合計100万円を自腹し、キーワードクイズ「むげんだいのげいにんはエド」を当てた視聴者の皆様にプレゼントした。視聴率は13.2%→19.6%と高視聴率だった。
2月27日、岡村涙の苦情ゼロSPを放送。本番組への批判・苦情に対して、真っ向から挑む内容であった。詳細は岡村涙の苦情ゼロSPを参照。

4月10日、この年の春スペシャルでは4年ぶりに濱口だましを中心に放送。濱口が出演しているテレビ東京のオーディション番組「イツザイS」の全面協力の下に出演者及びインディース芸人にスタッフまで参加し実施した。

放送開始以来、横並びではほぼ独走状態であり、安定して15%以上の視聴率を記録し20%以上も珍しくなかった。同時期のバラエティ番組では『とんねるずのみなさんのおかげでした』『関口宏の東京フレンドパークII』などと並び、長期にわたり高視聴率を獲得した番組である。

しかし2004年に開始した『世界一受けたい授業』(日本テレビ系列)が徐々に人気を集め、2006年頃からめちゃイケを上回ることも珍しくなくなった。さらに2008年にはTBSが土8ドラマをスタートさせ『ROOKIES』の人気でめちゃイケの視聴率が振るわなくなり、『ROOKIES』終了後も後続の『恋空』以降の作品が低迷しているにも関わらず回復しないまま、2010年3月では前番組の『爆笑レッドカーペット』の若手の勢いと、若手から中堅になったレギュラー陣の出演料の高騰化に押され始め、レッドカーペットの2時間スペシャルが度々組まれ、休止されることが多くなる。2009年度になってからは『矢部オファーシリーズ』『フジテレビ警察』等年次企画も放送されなくなった。現在も同時間帯の視聴率トップの座を『世界一受けたい授業』に明け渡す状況が続いているが、視聴率2位は概ね維持している。しかし一方で、2009年5月23日は裏番組に木村拓哉主演の『MR.BRAIN』が放送され、15分拡大で放送したが、『MR.BRAIN』が24%を超える高視聴率を記録したのに対し、こちらは13.6%で、同時間帯2位とかなりの健闘を見せた。

高視聴率番組として知られている半面、裏番組で「子供に見せたい番組」の上位に入ることが多い『世界一受けたい授業』とは対照的に、「子供に見せたくない番組」の上位に入ることが多いため、いわゆる低俗番組としても知られている。

2007年9月22日放送の『週刊フジテレビ批評』にて2007年8月25日放送分の番組が番組審議される様子が放送され、「出っ歯企画はよくない」、「いじめを助長する」、「仕込みが多すぎる」といった意見があり、自身も出演したことのある港浩一も「いじめを助長する」件について少し言及した。また、BPOでも審議の対象となることが多く[10][11][12][13]、いわゆる「罰ゲーム」などの暴力表現について指摘を受けることが多い。これに対して岡村は、2007年10月25日の『ナインティナインのオールナイトニッポン』において、「罰ゲームがいじめを助長するということは一切ない。学校でいじめを受けて笑顔のない子でも、バラエティ番組の前だけでは笑ってくれるというのが理想。バラエティ番組を規制するよりも、インターネット上の暴力表現や性描写を規制すべきでは」と、BPOの見解に対して痛烈な批判を行った。

また、『ナインティナインのオールナイトニッポン』において、リスナーから『「子供に見せたくない番組」のアンケートは、すでに複数の番組名が書かれたなかから選択できるようになっている』という情報がよせられ、このことに対しても岡村は激怒し批判を行った。
フジテレビ公式サイト内に番組紹介ページと番組公式サイトの2つあるが、2007年秋頃になって、前述の週刊フジテレビ批評で批判されたために公式サイトのほうのみ一時期緊急閉鎖されたことがあった。

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食べ放題(たべほうだい)を上海で!

レストラン、焼肉、かに、しゃぶしゃぶ、寿司、中華料理、ジンギスカンなどの飲食業にて、一定料金で指定された範囲から好きなものを好きなだけ食べる事が可能な食事のシステム[1]である。時間制限が存在しない店と、回転率の向上のために1時間~2時間程度に制限する店がある。近年は、本格的フランス・イタリア料理や各国の本格的な料理を手頃な価格で楽しめる為、高級ホテルの集客の目玉として積極的に取り入れられている。朝食メニューのシステムとして用いられるケース、ケーキなどを中心としたデザートバイキングや、野菜類のみ食べ放題のサラダバーを行っているケースなどをもある。作り置きの料理や食材を適量に取り分けて食べる「ビュッフェ形式(セルフサービス形式)」と、メニューの注文を受けた後にその都度調理を行い、出来立ての料理が出てくるシステムの「注文形式」がある。

他に食べ放題の形式を利用する業種としては、ビジネスホテルや温泉ホテルの朝食がビュッフェ形式で実施される事が多い。これはコスト管理の一環である。居酒屋にて注文形式で実施しているケースもある。一部の地域では食育の一環として、特定日の学校給食をビュッフェ形式で供食することもある。

日本での呼び方には「食べ放題」の他に「バイキング」、「ビュッフェ」(仏:buffet)、「ブッフェ」、「ビュフェ」、「バフェ」、「バッフェ」などがあり、これらは通常「セルフ方式で食べ放題」の意味で使われる。

欧州の一部や北欧などでは「スモーガスボード (smorgasbord)」(語源はスウェーデン語の「パンとバター」または「オープンサンドイッチ」(smorgas) と「テーブル」(bord) の合成語)という用語が用いられている。
英語では「All You Can Eat」(文字通り「食べ放題」の意味)あるいはフランス語同様に「buffet」と呼ばれ、発音は「バフェ」に近い。ただ、日本では簡易な供食設備を備えた鉄道車両を「ビュフェ」と呼んできた(新幹線にはかつて「食堂車」と「ビュフェ」の両方を連結した列車もあった)歴史があるために、食べ放題形式を指してこの種の用語が使われるようになったのは比較的最近のことである。

27年間の米軍統治が行われた沖縄県では、戦後早い時期から正しい英語に接する機会を得た事によって「バフェ」という呼称が定着していたが、沖縄県外からの観光客が増加した21世紀初頭では「バイキング」という表記を用いる店も増加してきている。

また、業態別では焼肉、かに、しゃぶしゃぶ、寿司、ジンギスカンなどの飲食業では「食べ放題」、「バイキング」の名称を主に利用しており、「ビュッフェ」の名称はホテル等のレストランなどオードブルやデザートを含む多種類の西洋料理を提供する店舗に限って使用される傾向が強い。

食べ放題=元を取る、と言うスタンスで利用するのでは無く、自分のお腹の具合に合わせて、適量な1人分の分量に取り分けて食べるのが本来の利用方法である。食べられるかどうかも分からないで余分に2、3人分を皿に盛り、残すのはマナーに反する行為となる(一部の店ではルールにて大量の食べ残しがある場合、料金追加のケースがある)。また、あくまで店内のみでのサービス形式であるので、勝手に持ち帰る行為などは禁止である。グループ・家族連れで料理を回して食べ、大声で騒ぐ行為などで利用すると、特に日本以外のレストランでは注意を受ける原因にもなる。

他にも、一旦使用した皿などの食器を再度使って、食材を再び取るのは衛生上の問題から、マナーに反する行為とされ、食材を取る時には必ず新しい皿を使用する必要がある。逆に、お店が皿を洗う枚数が減るから、皿は再使用した方が良いのではないかと誤解している人もいるので、大変留意すべき事の一つである(但し、一部の店ではルールにて皿などの食器について使用制限を加えている場合もあるので、その点には注意する必要がある)。
なお、スウェーデンのスモーガスボードの食べ方としては、一皿には一度に多くを盛らず、食器の再使用は行わずに、使った皿の数が多ければ多いほどマナーが良いとされている。


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ホタルノヒカリ (漫画)を思い出す?

『ホタルノヒカリ』は、ひうらさとるによる日本の漫画作品、およびそれを原作とした連続テレビドラマ。女性漫画雑誌『Kiss』(講談社)にて、2004年から2009年まで連載された。単行本は全15巻。

20代の人生を恋愛を半ば放棄してぐうたらに過ごす、作中では干物女と呼ばれている主人公の恋愛を描く。主人公の性格・生活スタイルなどに共感出来る部分がある女性達の間に、高い人気を誇っている。

あらすじ

SWビルドのインテリア事業部に勤めるOL・雨宮蛍は、会社では有能な仕事ぶりを見せるまともなOLだが、恋愛には無関心で、家でゴロゴロとしているのが大好きな干物女だった。しかし、ある日、部長の高野誠一が引っ越して来て、不本意ながらも同居する破目になる。
一方で、ロンドン研修に行っていた、新進気鋭のインテリアデザイナー・手嶋マコトが帰国、彼に次第に惹かれて5年ぶりに恋愛を始める事になる。
久しぶりの恋愛に戸惑う蛍の恋は、果たして上手くいくのか?

テレビドラマ

放送時間 水曜22:00-22:54(54分)
放送期間 2007年7月11日 - 9月12日(10回)
放送国 日本
制作局 日本テレビ
演出 吉野洋
南雲聖一
茂山佳則
久保田充
脚本 水橋文美江
山岡真介
プロデューサー 櫨山裕子
三上絵里子
内山雅博
出演者 綾瀬はるか
国仲涼子
加藤和樹
武田真治
板谷由夏
安田顕
藤木直人 ほか
音声 ステレオ放送
エンディング aiko「横顔」(ポニーキャニオン)

特記事項:
初回:10分拡大(22:00 - 23:04)
最終回:15分拡大(22:00 - 23:09)
ドラマ

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カテゴリ
テレビドラマ
ラジオドラマ
表・話・編・歴
概要
2007年7月11日から同年9月12日まで、日本テレビ系列で毎週水曜日22:00 - 22:54(JST)に全十夜放送された連続ドラマ。初回は10分拡大、最終回は15分拡大枠で放送。
主人公の雨宮蛍を演じた綾瀬はるかにとって、本作が初となる単独での連続ドラマ主演作である。また手嶋マコト役の加藤和樹は、プライムタイムでの全国ネットの連続ドラマ初レギュラー出演となる。
外では頑張る社会人、家では干物女・蛍の恋愛を描く。キャッチコピーは「オフタイムには頑張りたくない。恋愛するより家で寝てたい。そんな、干物女が恋をした!」。

本放送から1年2ヶ月後の2008年11月21日に6枚組のDVD-BOXが発売された。SPECIAL DISCには、メイキングムービー、スピンオフドラマ『メンズホタルノヒカリ』、PRスポット集を収録。

2010年1月19日の20時から毎週BS日テレにて再放送された。第一夜では、二ツ木の登場シーンがほぼ全て削除されているなど、拡大放送の第一夜と最終夜のみオリジナル版とは異なる「再編集版」であった。

公式ホームページでは、『anego』、『ハケンの品格』の日テレがお贈りするはたらく女子のリアルストーリー第3弾!と謳っている。またスタッフの一部はこれら2作品のプロデューサー、演出陣で構成されており、安田顕が『ハケンの品格』では役名が一ツ木だったのに対し、このドラマでは二ツ木であるといった、スタッフとの繋がりを見せた捩りがある。スピンオフドラマ『メンズホタルノヒカリ』第6夜において安田が一ツ木慎也としても出演している。二ツ木の名である「昭司」も、『ハケンの品格』の登場人物である「東海林」にかけていると、安田自身が番組宣伝の中で告白している。

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アイドル

元来偶像を表す「idol」[1]の 意味が発展・変化し「若い人気者」としての意味が成立したのは、アメリカで1927年に「マイ・ブルーヘブン」をヒットさせた歌手のルディ・ヴァリーが先駆けとされ、1940年代に「女学生のアイドル(bobby-soxer's idol)」と呼ばれ、熱狂的な人気で社会現象まで引き起こしたフランク・シナトラによって完全に確立した。この流れの中で1950年代のエルヴィス・プレスリーも、1960年代のビートルズもデビュー時はアイドルとして認知されていた。

この経過から日本においては、主に外国の芸能人について使われる言葉であり、人気若手芸能人は一般的に「スター」、映画時代に一世を風靡した吉永小百合、浜田光夫などは特に「青春スター」と呼ばれていた(映画の中のみでなら、1938年の松竹映画「愛染かつら」で使用された例がある)。 しかし1966年に人気絶頂のビートルズの来日公演が実現し、これをきっかけとしてザ・タイガース、ザ・テンプターズ等のグループ・サウンズブームが巻き起こって行く過程で、徐々に青春スターの呼称は廃れ、アイドルの呼称に取って代わられていった(※ノート参照)。

さらに1969年のグループ・サウンズの衰退を受けて登場した1970年代のアイドルの時代に至って、未成熟な可愛らしさや親しみやすさに愛着を示す日本的美意識を取り入れながら独自のアイドル像を創りあげ、1980年代には市民権を得た[2]。 戦後から昭和の末期までは、「ブロマイド」の売上実績がすなわちスターやアイドルの人気のバロメータになっていた。

現在アイドルという言葉は、あるコミュニティにおいて人気のある者を指す言葉として用いられる場合がある。名詞的に「学校のアイドル」、「職場のアイドル」などと呼ばれるもの、また同様の形容詞的表現として「アイドル的人気のある人」、「○○ではアイドル並み」といった範囲限定使用がそれである。

1970年代から1980年代の日本では、若年層に向けた歌謡曲を歌う清純派歌手(アイドル歌手)のことを「アイドル」と呼ぶことが多かった。現代的なアイドルを生み出す原動力となったのが、1970年代のオーディション番組スター誕生!である。スター誕生!からは1970年代にピンク・レディーや山口百恵などの1970年代の大スターを輩出し、1980年代前半のアイドルブームの下地となった。1980年代に入り松田聖子、河合奈保子、中森明菜、小泉今日子、たのきんトリオなどのアイドル歌謡曲をメインとするアイドルが活躍を始め、アイドルブーム が日本に沸き起こったのである。当時のアイドルの目標の一つが怪物音楽番組ザ・ベストテンへの出場であった。しかし1980年代後半頃からの第二次バンドブームの影響もあり、アイドル歌謡が中心であったアイドルブームは衰退した。

現在(1990年代半ば以降)では、女性アイドルの分類が細分化されており、アイドル歌手だけではなく、映画やドラマなどで女優活動に重点を置く「アイドル女優」、アニメやゲームなどの声優活動に重点を置く「アイドル声優」、男性誌グラビアで水着姿などを披露する活動が中心の「グラビアアイドル」、CM活動で人気を得る「CMアイドル」、バラエティ番組への出演を活動のメインとする「バラエティアイドル」などジャンルも多様化し、これらを総合的に「アイドル」と呼ぶのが一般的である。アイドル歌手以外のアイドルをアイドルとみなさない考えであっても、伝統的な清純性をセールスポイントとしているグラビアアイドルはアイドルと呼ばれる。ソロが中心であった女性アイドルは近年はグループ化が進んでいる。男性アイドルにおいてはより早くからグループ化が進んでおり、グループからのソロ活動を除く男性ソロアイドルはほとんど存在しない。 欧米においてはフランス語の発音がアイドル調の楽曲に合致することなどから、フランスで女性アイドル歌謡が盛んである。

1980年代末には「国民的アイドル」という呼称(概念)も登場した。「国民的アイドル」という言葉は、「国民的美少女」(後藤久美子のキャッチコピー)及び「全日本国民的美少女コンテスト」(国民的美少女コンテスト)から派生したものと思われる。同コンテストは、歌手というより女優(あるいはモデル)を発掘するという意味合いが強いと見られ、アイドル=歌手という図式の崩壊・変容に一役買った面がある。その条件として、まず一部の者や限定的な嗜好者のみにしか知られていないアイドルではなく、年齢層も子供から高齢者まで幅広く認知がなければならない。さらに、人気が長い間高いこと。芸能界では一般的に視聴率が取れる人物(グループ)を指す。また、高視聴率のメイン番組を持っていることなどが挙げられる。

アイドルのレコード(20世紀末からはCD)などを熱心に購入するだけではなく、コンサートやイベントに参加する者も多い。芸能プロダクションなどが運営するファンクラブに所属する者も多い。
ファンがアイドルに向けた熱意が高じた結果、芸能プロダクションなどの公式ファンクラブとは別に、1970年代半ばにはファン側が主体の全国規模のファン組織が登場する。キャンディーズのファン組織「全国キャンディーズ連盟(全キャン連)」が、その初めての例と言われる。これが俗に言う「アイドル親衛隊」の始まりであり、後に親衛隊連合、親衛隊同盟という二大勢力に発展していく。また「追っかけ」や「カメラ小僧」という行為(ファン像)も生まれてきた。
1990年代以降は、価値観の変化や娯楽の多様化などから若年層のアイドル離れが進み、かつてのアイドル全盛期の頃に比べファンの数が減ってきている。

ファンの多くは内心は熱狂的だが、表面的には密やかな態度であると見る向きもある。その一方、アイドルへの思いが高じたあげく、アイドルを傷つける行為に走る例も見られる。古くは美空ひばりやこまどり姉妹がファンから硫酸をかけられた事件が挙げられる。1980年代にも松田聖子がコンサート中にステージ上でファンに殴られた事件、倉沢淳美がサイン会でファンから腕を切り付けられた事件、西村知美が姉を拉致された事件などが発生している。2000年代に入ってからも2008年に水樹奈々に対する殺人予告がネット上で書き込まれたり、2009年にはAKB48のメンバーの転居届を勝手に出したファンが逮捕されたり、声優の池澤春菜がファンのストーカー行為(未遂)の被害を受けたりしており、業界は日々の対策に追われている。

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株式会社ウェザーニューズ(英: WEATHERNEWS INC.)

アメリカに本社のあった海洋気象調査会社・オーシャンルーツの日本法人の代表取締役社長だった石橋博良が金融機関の協力を得た上で、同社の陸上・航空部門を1億8,000万円で買い取るという、当時としては非常に珍しいMBO(マネジメント・バイ・アウト)方式[1]で1986年に設立(設立当時の従業員数は約40人だった[出典 2])。日本における民間総合気象情報サービスの草分け的企業であるとともに、1993年には親会社のオーシャンルーツを吸収合併し、世界最大の民間気象情報会社となっている[出典 3]。

コーポレートキャッチフレーズは「Always WITH you!」(どんなときでもあなたとともに!)。
元々ウェザーニュースという社名で設立された後、ウェザーニューズへ社名変更している。かつて、同社の子会社にウェザーニュースという会社があったこともあり[2]、「ウェザーニュース」と「ウェザーニューズ」は混同されやすいが、「ウェザーニュース」の名称は、同社のインターネットの気象総合サイト、携帯電話向けサイト、BSデジタル放送・ケーブルテレビ向け放送の名称となっていて、社名の「ウェザーニューズ」とは使い分けがされている。また、略称の「WNI」のIをインターナショナル (international) の略だと混同する人も少なくない(正しくは株式会社 (incorporated) の略)。

企業や自治体に気象情報を提供するだけでなく、子会社のダブリュエックス二十四を通して、BSデジタル放送[3]において天気予報の放送を、ケーブルテレビには地元向けの天気予報を提供している。
1992年には地上波のテレビ神奈川でも「花モクはリクエスト天気」(21:30 - 55)という番組を持っていた。文字通り視聴者からの特定の場所についての天気のリクエストを行っていたが、当時はまだ予報が自由化されておらず、詳細が言えなかった。番組終盤では、気象庁予報に基づく通常の天気予報も放送していた。なお、「花モク~」放送の木曜日以外は、「TVKニュース」が21:50から10分の枠を持っており、この後半では天気予報を放送していたが、木曜日は「TVKニュース」が21:55からニュースのみを放送となっていた(天気予報が省かれていた)。
2005年には、ベイエフエム (bayfm) で「WEATHER NEWS」という番組(毎週日曜日20:30)を放送、主に携帯サイト用の動画収録の裏話などを取り上げていた。

社是

人は遊ぶ時、とにかく楽しんでいる。
人は遊ぶ時、冒険心を持っている。
人は遊ぶ時、自分の意志で遊ぶ。
人は遊ぶ時、自己責任で行動する。
人は遊ぶ時、失敗を恐れない。
人は遊ぶ時、新たな発見をする。
人は遊ぶ時、自分を磨くことを覚える。
人は遊ぶ時、自由人である。
人は遊ぶ時、知れば知るほど、やればやるほど面白くなり、上手くなればなるほど、さらに面白くなることを知る。
人は好奇心から遊びを見つける。好奇心旺盛な人はたくさん遊ぶ。
人は遊びから自分の隠れた才能をいだす。
人は遊びから天職を見いだす。

事業内容

モバイルコンテンツサービス
携帯電話をメインに据えた全世界サービス網を持ち、課金システムはローカライズされている[12]が、主な機能は日本に集約している。システム規模は世界最大で、日本でも携帯電話の有料お天気サイトでは会員数トップの約160万人の有料会員がいる[出典 68]。2004年4月にau・EZチャンネルへ携帯電話向け初の天気動画チャンネル[13]として始まった携帯サイト連動型動画番組「ウェザーニュース」(現在の「おは天」)は、その後、EZweb、NTTドコモ・FOMA、ボーダフォン(現在のソフトバンクモバイル)・ボーダフォンライブ!(現在のYahoo!ケータイ)に対応[14]し、更に2005年2月から韓国のKTフリーテル(現在のKTF)で、同年9月から台湾のFarEasToneでも同様の番組が提供され、韓国進出時に実施されたお天気キャスターの一般公募はその後進出した台湾、更に日本でも実施されている(日本については、現在は一般公募を休止している)。

航空気象コンテンツサービス
航空管制からフライトプラン作成用資料の提供など大型旅客機・航空貨物パイロット向けのサービスと、山岳地における低高度気象情報の提供など地域航空向けのサービスを行っている。

海運気象コンテンツサービス
航路上の気象状況を気象衛星および同社所有の海上ブイからのテレメトリ情報をもとに、航路最適化・寄港地における気象状況といったサービスを提供している。
停泊船舶の安全管理の必要性が高まる中、OPO(Optimum PortOparation、停泊船舶保全サービス)が提供された。これは停泊中の本船への台風、爆弾低気圧の接近の告知や荒天の状況を運行海運業者と当該船舶に対し発信するサービスである[15]。

海上気象コンテンツサービス
石油掘削基地をはじめ、海上で固定的に運用する設備向けの気象情報サービスである。

流通気象コンテンツサービス
コンビニエンスストア等における、気象状況に応じた発注情報の最適化サービスを提供する。

放送気象コンテンツサービス
幕張グローバルセンター内に、3つのテレビスタジオ(携帯電話向け動画収録も兼ねる)があるWNI SITEと、予報業務の中枢であるGPEC(グローバル気象予報センター)内にも放送ブースを有し、自社制作による気象映像番組を、テレビやインターネットで配信している。国内唯一のBSデジタルデータ放送における気象専門チャンネルを保有する他、J:COM[出典 69]など各地のケーブルテレビ局への気象情報番組の提供(これらは、子会社のダブリュエックス二十四を通じて供給)、自社ウェブサイトや、MSN Japan・BIGLOBEストリームなどの国内ポータルサイト向け、海外に対しても気象番組の配信を行っている。

報道気象コンテンツサービス
気象予報士や放送技術とノウハウを国内地上波テレビ・ラジオ局に提供している(地上波民放テレビ局の場合、主にテレビ朝日系列局を中心に配信。さらに基本的にキー局TBSから加盟各局全てに予報画面等の配信を行っているJNNにも気象データの提供を行っている[16]。国内テレビ局における同社のシェアは70%を超えている(後述)。また、テレビ各局で使用されている天気予報の自動音声システムも自社開発している[17]。伝送媒体に通信衛星から海底ケーブルまで幅広いラインナップを持っており、同社の営業社員の大半は気象予報士である。

道路気象コンテンツサービス
気象情報による一般道路・高速道路の速度制限やトラフィックマネジメントといった基本的なサービスのほか、コンサルタントによる運用アドバイスなど幅広いノウハウと技術提供を行っている。

防災気象コンテンツサービス
河川防災など基本的サービスの他、地域ケーブル局と連携し住民に避難情報の勧告、リアルタイムなデータの提供などを行っている。また同社はBSデジタル放送局であるため、地域放送局が壊滅的ダメージを蒙っても情報を供給することができる。

鉄道気象コンテンツサービス
運行指令業務サービスを基本に、災害情報、また同社得意の限定地域における短期間予測によるサービスによって設備改修作業における情報の提供を行っている。また、近年の突風・竜巻・ゲリラ雷雨などの災害による安全運行規制を支援するサービスも行っている[15][出典 70]。

トラベル気象コンテンツサービス
旅行産業市場事業者や屋外施設運営を行なう事業者に、気象情報を提供し、旅行日程調整や施設運用可否判断といったサービスパッケージを用意している。

スポーツ気象コンテンツサービス
各種スポーツ設備運営業者をはじめ、開催日程や設備運用可否判断といったサービスを提供している。同社はFIFAワールドカップを主催している国際サッカー連盟、正月の大型スポーツイベントの一つでもある箱根駅伝[18]、選抜高等学校野球大会・全国高等学校野球選手権大会を主催している日本高等学校野球連盟(1983年-)とも提携・協力している[出典 71]。さらに高校野球の地方大会でも、別のスポーツで発生した落雷事故の裁判で主催者と高校に巨額の損害賠償を命じたことを受けて、2009年は埼玉・千葉・静岡・兵庫・宮崎各県の高野連にも気象情報を提供した[出典 72]。

動気候コンテンツサービス
農作物収穫スケジュール作成に必要な情報を提供し、また同社が世界規模で気象庁を買収もしくは提携している事により、エルニーニョ現象などによる異常気象発生の予測など広域気象情報サービスを行っている。

電力気象コンテンツサービス
電力・ガスなど動力施設に対して、気象による需要変化の予測サービスを提供し、電力潮流制御や燃料調達計画を支援している。

工場気象コンテンツサービス
気象に基づく生産管理支援、落雷など動力への支障発生を予測するサービスを提供している。同社は多くの電力会社、ガス会社と提携しており、それらの提携先から入手した情報をフィードバックし、サービスを提供している。

健康気象コンテンツサービス
花粉発生予測、紫外線情報、熱線情報を総合的に扱っており、健康管理における目安となるサービスを提供している。このサービスはBSデジタルデータ放送、ケーブルテレビ放送から入手できる他、提携している病院からも情報を得ることができる。

童理気象データサービス
本サービスは特定の物を扱っているものではない。同社は24時間365日、基本となる気象情報から、日本・アジア・米国・欧州それぞれに最適化し基本情報のほか応用情報を用意、各種教育機関、研究機関に情報提供している。同社におけるサービスの基幹でもあり、他のサービスにおけるデータソースでもある。

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東京大学(とうきょうだいがく、英語: The University of Tokyo)

概観

大学全体

赤門

法文2号館アーチ
東京大学は日本の国立大学である。東京大学は江戸幕府の昌平坂学問所や天文方、さらに種痘所からの流れを汲み、欧米諸国の諸制度に倣い、日本で初めての近代的な大学として設立された。後に、政府直轄の大学となり「帝国大学」と改称した。その後、京都帝国大学設置に伴い、「東京帝国大学」と改称した。第二次世界大戦後、「国立東京大学」となった。国立大学法人化でも、旧7帝国大学全てにおいて統合はない。付置研究機関もしくは附属研究所が、大学共同利用機関化されると同時に、新たな研究科などが新設され、現在の陣容になる。

憲章
東京大学は特に創立時に定められた建学の精神はない。しかし、国立大学法人化に伴い、現在は「東京大学憲章」というものが定められている。東京大学憲章は、「大学」としての使命を公に明らかにすることと、目指すべき道を明らかにすることを目的として学内有識者会議によって制定されたものである。学部教育の基礎としてリベラル・アーツ教育を重視することを謳っている。

教育および研究
東京大学はキャンパスによって教育内容・研究内容を異にする。教育内容の面からは、主に教養課程を実施する駒場キャンパス、専門教育を行う本郷キャンパス、大学院課程のみの教育を行う柏キャンパスに分けられる。また研究内容の面からは、伝統的な学問領域の研究を行う本郷キャンパス、学際的な研究を行う駒場キャンパス、新しい学問領域の研究を行う柏キャンパスに分けられる。こうしたキャンパス分立体制は、学部によってキャンパスを分けることの多い他の大学では珍しい形態である。さらに現在でも入学時の教養課程を分化し設置している大学も日本では数が少なく、日本国内では珍しい存在となっている(詳しくは、学内組織の欄を参照。現在もカレッジ制を採用している大学でもあるからである。つまり、駒場カレッジ、本郷カレッジ、柏カレッジと呼んでも良い。設立経緯にもあるように、大学予備門・大学・工部大学・東京開成学校・東京医学校などの統合によって生まれた大学でもあるからである)。
上述したとおり、リベラル・アーツ教育(教養教育)を重視しているのが東京大学の教育の大きな特徴である。教養教育は教養学部前期課程として開講されているが、その実施には東京大学のすべての学部・研究科・研究所が参加している[1]。主に担当する教養学部では、各大学1件ずつしか応募できない[2]特色ある大学教育支援プログラムに「教養教育と大学院先端研究との創造的連携の推進」で応募したことが、大学として教養教育を重視していることの現れであるとしている[3]。教育内容の詳細は東京大学大学院総合文化研究科・教養学部を参照。
現在においては、東京大学のより一層の国際化推進を図り、総長直轄の本部組織である国際連携本部を中心とした国際化推進計画が進行中である。
2008年現在、ノーベル賞受賞者の中で、東京大学が博士号学位授与した卒業生は4名、学士の学位を授与した卒業生は6名となっている[4][5][6]。
国立大学法人になって以降、積極的な改革を行いつつある。商標登録などのブランド力向上の施策(#シンボルマークを参照)、知的財産移転に関する関連団体の設立、任期付講師の積極的な外部からの登用、学外識者も参加する大学運営理事会などである。また、教育というサービスを提供する観点から、学内にレストランやコンビニエンスストアなど外部テナントの誘致を進めてきた。本郷キャンパスにはスターバックスコーヒーやサブウェイ、ローソンなどが店舗を構えており、医学部研究棟にはイタリアンレストランが入るなど、アメリカの大学キャンパスに見られるような施設誘致が成されている。 情報発信を強化する観点から、学生によるホームページの運営[7]なども行っている。

沿革

東京大学 (1877-1886)も参照のこと


「東京大学発祥の地」の碑。学士会館内(東京都千代田区神田)
略歴
東京大学の起源は、1684年(貞享元年)に江戸幕府が設立した天文方と、1858年(安政5年)に江戸の医者の私財によって設立された神田お玉ヶ池種痘所、1797年(寛政9年)に創設された昌平坂学問所(昌平黌)である(1871年に廃止されたため組織的に直接のつながりはない)。
天文方はその後、1857年(安政4年)に蕃書調所、1862年(文久2年)に洋書調所、1863年(文久3年)に開成所と変遷していった。

また、種痘所も1860年(万延元年)に江戸幕府へ移管された後、1861年(文久元年)に西洋医学所、1863年(文久3年)に医学所と変遷していった。
これら3つの江戸幕府直轄の教育機関は、明治政府が1868年(明治元年)に、開成学校、医学校、昌平学校として復興した。それぞれ洋学、西洋医学、国学・漢学の教育機関であったが、1869年(明治2年)にはこれらを統合するため、昌平学校が大学校(本校)となり、開成学校および医学校が大学校分局とされた。同年のうちに大学校、開成学校、医学校は大学、大学南校、大学東校と改称されたが、1870年(明治3年)には学制改革により大学が閉鎖されてしまう。1871年(明治4年)に大学は廃止され、大学南校、大学東校は南校、東校と改称された。両校は1874年(明治7年)にそれぞれ東京開成学校、東京医学校と改称された。1877年(明治10年)4月12日に東京開成学校と東京医学校が合併して東京大学となり、日本で初めての近代的な大学が設立された(なお、4月12日は現在「東京大学記念日」となっており、この日に入学式が行われている)。
本稿ではこの経緯から創立は天文方の設置年である1684年、設立は東京大学が誕生した1877年としている(なお、日本最古の大学については大学寮参照)。東京大学設立後の沿革については以下の年表を、歴代の総長については歴代総長を参照のこと。

年表
明治
1877年(明治10年)4月12日 東京開成学校と東京医学校が合併し「東京大学」設立[8]
1878年(明治11年)12月 文部省、東京大学に学位(学士号)の授与権を与える
1879年(明治12年)4月 東京大学の授与する学士号を法学士・理学士・文学士・医学士・製薬士とする
1880年(明治13年)8月 法理文の3学部に学士研究科を設置(大学院の前身)
1881年(明治14年)6月 東京大学職制を制定(東京大学に総理を置き、4学部と予備門を統括)
1884年(明治17年)10月 東京大学副総理を置く
1885年(明治18年)9月 東京法学校を法学部に統合。工芸学部設置(理学部より分割)
1886年(明治19年)3月 工部大学校を統合し、帝国大学令により「帝國大學」と改称[9]
1887年(明治20年)7月 分科大学卒業生に授与する学士号は称号とし法学士・医学士・薬学士・工学士・文学士・理学士とする
1888年(明治21年)11月 東京天文台を設置
1890年(明治23年)6月 東京農林学校を統合し、農科大学を設置
1897年(明治30年)6月 京都帝国大学の設置に伴い「東京帝國大學」と改称
大正
1916年(大正5年)4月 伝染病研究所を設置。
1919年(大正8年)2月 分科大学制を廃し学部を設置。経済学部を新設
1921年(大正10年)4月 学年を4月1日から翌年3月31日までとする
-----同年------ 7月 航空研究所を設置
1925年(大正14年)11月13日 地震研究所を設置
昭和(東京帝国大学) [編集]
1939年(昭和14年)1月 平賀粛学により、経済学部が壊滅状態となる
1941年(昭和16年)11月 東洋文化研究所を設置
1942年(昭和17年)3月 千葉県千葉市に第二工学部を設置[10]
1944年(昭和19年)1月 南方自然科学研究所を設置
1945年(昭和20年)1月 輻射線化学研究所を設置
1946年(昭和21年)3月 南方自然科学研究所を改組して立地自然科学研究所を設置、航空研究所を改組して理工学研究所を設置
-----同年------ 8月 社会科学研究所を設置
1947年(昭和22年)9月 「東京大学」に改称
昭和(東京大学:新制) [編集]
1949年(昭和24年)5月 旧制第一高等学校・旧制東京高等学校高等科を併合し、新制の東京大学となる[11]。新聞研究所を設置
1950年(昭和25年) 輻射線化学研究所を廃止 (月は不明)
-----同年------ 5月 文学部附属の史料編纂所を東京大学附置研究所とする
1951年(昭和26年)3月 教育学部附属中学校・高等学校を設置、第一工学部、第二工学部を改組[12]
1952年(昭和27年) 立地自然科学研究所を廃止(月は不明)
1953年(昭和28年)3月 新制の大学院を設置(人文科学・社会科学・数物系・化学系・生物系の5研究科)
-----同年------ 7月 応用微生物学研究所、宇宙線観測所(全国共同利用研究所)を設置
1955年(昭和30年)3月 全国共同利用研究所として原子核研究所を設置
1957年(昭和32年)4月 全国共同利用研究所として物性研究所を設置
1958年(昭和33年)4月 薬学部設置。[13]理工学研究所を改組し航空研究所を設置
1962年(昭和37年)4月 前期課程の4科類(文科一類・二類、理科一類・二類)を6科類に再編。全国共同利用研究所として海洋研究所を設置
1963年(昭和38年)4月 大学院人文科学研究科・社会科学研究科を改組し、人文科学・教育学・法学政治学・社会学・経済学の5研究科を設置
1964年(昭和39年)4月 航空研究所を改組し全国共同利用研究所として宇宙航空研究所を設置
1965年(昭和40年)4月 大学院数物系研究科・化学系研究科・生物系研究科を改組し、理学系・工学系・農学系・医学系・薬学系の5研究科を設置
1967年(昭和42年)6月 伝染病研究所を改組して医科学研究所を設置
1969年(昭和44年)2月 東大紛争の余波で入学試験見送り
1976年(昭和51年)5月 宇宙線観測所を宇宙線研究所に改組
1981年(昭和56年)4月 宇宙航空研究所を廃止(→宇宙科学研究所)
1983年(昭和58年)4月 大学院総合文化研究科を設置
1987年(昭和62年)5月 先端科学技術研究センターを設置
1988年(昭和63年)7月 東京天文台を廃止(→国立天文台)
平成
1991年(平成3年)4月 大学院重点化を開始
1992年(平成4年)4月 大学院数理科学研究科を設置
1993年(平成5年)4月 応用微生物学研究所を分子細胞生物学研究所に改組
1994年(平成6年)4月 大学院農学系研究科を大学院農学生命科学研究科に改称
-----同年----- 6月 地震研究所が全国共同利用研究所となる
1995年(平成7年)4月 大学院社会学研究科を廃止し、人文科学研究科を人文社会系研究科に改組
1997年(平成9年)4月 大学院重点化が完了。原子核研究所を廃止(→高エネルギー加速器研究機構)
1998年(平成10年)4月 大学院新領域創成科学研究科を設置
2000年(平成12年)4月 大学院情報学環・学際情報学府を設置。教育学部附属中学校・高等学校が中等教育学校へ移行
2001年(平成13年)4月 大学院情報理工学系研究科を設置
2003年(平成15年)3月 東京大学憲章を制定
2004年(平成16年)4月 「国立大学法人東京大学」となる。特別栄誉教授制度を創設。大学院の改組。[14]先端科学技術研究センターを附置研究所へ転換。
2005年(平成17年)4月 全学的な海外学術交流拠点として北京代表所を設置
2006年(平成18年)1月 国際研究型大学連合(IARU)発足
2007年(平成19年)10月 「数物連携宇宙研究機構」発足
-----同年------ 11月 東大-イェール大学・イニシアティブ設立
2009年(平成21年)1月 東大・慶應レセプションの開催
-----同年------ 10月 東京大学放射光連携研究機構 物質科学ビームライン完成
2010年(平成22年)4月 海洋研究所、気候システム研究センターを統合改組して大気海洋研究所を設置


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脳内メーカー(のうないメーカー)

脳内メーカー(のうないメーカー)とは、名前を入力するだけで、脳内を表現したとする図を表示するウェブ上のサービスのことである。2007年6月16日にうそこメーカーによって公開され、2007年9月下旬までに4億5000万アクセス、10月11日までには5億アクセスを突破している。うそこメーカー版の脳内メーカー以外にも多数存在している。

脳内メーカーには、現在数種類ある。
脳内メーカー - 脳内メーカーの初版。脳内の様子を表示
脳内フェチメーカー - 脳内のフェチを表示
脳内相性メーカー - 2つの名前から2人の相性イメージを表示
前世の脳内メーカー - 前世の脳内イメージを表示
カレンダーメーカー - 1か月の予定を表示
高校メーカー - 高校の教訓・校歌などを表示
など。
テレビでも何度か紹介されており、2007年現在は日本の老若男女問わず流行にもなっている。始発のうそこメーカーは、占いや学術的根拠のない遊戯であるとしている。ただし、名前と苗字をくっつけて入力するか離して入力するかで結果が正反対になることがある為、完全ではないとされている。

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Yahoo!オークション(ヤフー!オークション、Yahoo! Auctions)

1998年9月14日、Yahoo!オークションは、米国向けにYahoo!のサービス拡張の一環として開始された。
1999年9月28日、日本向けのYahoo!オークションがYahoo! JAPANにより開始された。2008年12月13日には、出品されている総商品数は2000万件を超え[1] [2]、他のインターネットオークションサービスを大きく引き離している。[3]日本ではYahoo! JAPANの利用者がかなり多く[要出典][4]、かなり早期からあったので、出品者・入札者双方が集まりやすい。また、他のオークションに比べて落札率が高いとされている[要出典](2005年6月の1日あたりの平均落札率は36%[5])。
米国向けYahoo!オークションのシェアは1パーセント以下に低下し[要出典]、2007年6月16日に米国およびカナダでのYahoo! オークションを終了した[6]。また、同月には英国向け及びアイルランド向けのサービスも終了している。

利用方法

利用のための手続
Yahoo! JAPAN IDを取得したのち、オークションサービスのユーザー登録およびメールアドレスの確認手続き(ここまでは無料)をすると、出品者への質問、違反商品の申告、ウォッチリストへの追加と、特定カテゴリをのぞく4,999円以下での入札ができる。[7]
Yahoo!プレミアム会員登録(有料)(落札手数料などの支払いクレジットカード又は指定銀行)をすると、5,000円以上での入札、特定カテゴリでの入札と、値下げ交渉ができる。
本人確認(住所の確認、日本国内で1年間に2回までは無料、佐川急便が代行・身分証明書のうち、運転免許証・健康保険証・パスポート・年金手帳および年金証書・外国人登録証明書のうち一つを提示)の手続きをする。これらが完了するとYahoo!オークションの出品ができるようになる。
Yahoo!プレミアムの会費は346円(消費税込み)。[8][9]。
なお、2007年8月7日16時以降(無料キャンペーンの終了後)、Yahoo! JAPAN ID取得とオークションユーザー登録の手続きが済んでいれば、出品は不可かつ入札金額が5,000円未満の制限つきでオークションに参加できるように改正されている(プレミアム会員登録が済んでいれば入札の制限が無くなり、かつ出品が可能になる)。
取引方法
支払い方法や発送方法などの取引の条件は、出品者が出品時に設定することができ、落札後に出品者と落札者との間で決定されるが、主に以下の何らかの方法が選択される(ただし、オークションストアでの出品や、一部の取引は異なる場合がある)。なお、オークションストアの場合には、別途消費税を徴収することも認められている(消費税を含めた総額表示は義務づけられていない[10]ため、別途加算する必要がある)。
支払方法
Yahoo!かんたん決済(クレジットカード(Yahoo!ポイントとの併用可)・インターネットバンキング)
Yahoo!ネットバンキング
出品者が指定する金融機関への振込(都市銀行・地方銀行・信用金庫・ゆうちょ銀行など)
代金引換(宅配便や郵便。)
切手や商品券
発送
郵便・メール便・Yahoo!ゆうパック・宅配便・手渡しなど
匿名サービス
2007年、匿名取引ができるエスクローサービス「受け取り後決済サービス [11]」 が開始された(楽天オークションの楽天あんしん取引に似たサービス)。利用料や登録料は一切かからず、また、住所などの開示が不要な匿名(開示・半開示も可能である。)での取引が利用できる。匿名の場合、落札者の宛先は、JPエクスプレス(ペリカン便)の場合は送付先を担当する営業所名、ヤマト運輸(宅急便)の場合は送付先の市区町村名まで表示される。[12]取引などは以下の流れで行われる。[13]
出品については、ジャパンネット銀行の口座が必要で、Yahoo!ネットバンキングと、Yahoo!ネットバンキング決済連携サービスに登録が必要である。なお、このYahoo!ネットバンキング決済連携サービスを利用すれば、ジャパンネット銀行の口座管理手数料が無料になる。[14]
発送については、受け取り・発送のいずれかがヤマト運輸が利用できるコンビニ(日本国内のセブンイレブン)の場合はヤマト運輸となり、自宅発送で自宅受取の場合は、JPエクスプレス(一部地域をのぞく)または、ヤマト運輸(離島は委託業者)が選択できる。[15]
落札については、ジャパンネット銀行の口座+Yahoo!ネットバンキングの利用の場合、振込無料で口座を開示する必要がない。通常の振込方法も利用できるが、口座の開示や金融機関の所定の手数料が必要になる。
受取については、ヤマト運輸の場合、コンビニ(セブンイレブン)で24時間受取が可能である[16]。JPエクスプレスの場合は、Yahoo!ポイントが貰える。[17]
一部のカテゴリの出品については、トラブル防止のため受取後決済サービスなどを利用しないと出品できない。[18]
過去に行われていた利用方法
サービス開始当初はユーザ登録さえすれば、無料でなおかつ本人確認も行わず利用できたため、オークション詐欺が多発する事態になった。
その後、本人確認作業の導入により、オークションの利用登録以外にプレミアム会員登録(有料)をする形に変更された。遅れて、住所確認の手続きが追加導入された。
2006年10月~2007年8月7日の間に限り利用料の無料キャンペーンを行っていたため、その間に限り入札・落札についてはプレミアム会員登録と住所確認の手続きは済ませなくとも利用できた。

過大な免責
(無料で利用している場合を除き)ユーザーから利用に対する対価(オークション利用料や出品料、落札システム手数料など)を徴収しているにもかかわらず、「サービス利用によって起こる結果についてはユーザーの自己責任」という逃げ道を作ることで不当に責任逃れをしているという批判がある。すなわち、対価と広告収入でサービスを維持管理する者としての法的責任から、自ら過大な免責をつけて不当に逃れているということである。これについては、後述の集団訴訟においても原告団側から問題点として指摘されている[38]。なお、Yahoo! JAPAN側のガイドラインで「利用者間の取引の『きっかけ』を提供するに過ぎない」と明記されている、と反論している(すなわち利用に当たって発生した結果についてはユーザーの自己責任であることを利用者は予め了解している)。

問題のある商品の取引への対応
違法または法的にグレーゾーンにある商品に対し、暗号や隠語、伏字などで商品名を隠蔽し、または出品者と直接連絡できるようメールアドレスやURL、携帯電話の番号などを記載[39]して出品し、取引されている(ただし、違法な出品物はYahoo! JAPANが発見し次第削除される。また、申告のシステムなども設けられているが、完全に対応できていない)。

盗品またはその疑いのある商品がYahoo!オークションで売買されているという指摘がある。例えば、農産物の盗難事件が多発した際には、Yahoo!オークションと農産物盗難事件とに関連があるのではないかという記事が経済雑誌『実業界』2003年12月号に掲載された。
コンサートやスポーツなどの各種イベントにおいては、開催者はチケットの出品や転売を禁止している場合が多いが、これらの注意に従わず出品されるケースが多く、出品が取り消されないまま落札されるケースも多い(チケットそのものの単純な所持や、本来の目的に則した使用自体は法律で禁止されていないため)。最近では特にコミックマーケットや同人誌即売会のサークルチケットも多数出品されるようになっており、転売による金儲けだけでなく、ダミーサークルの発生も助長している[40]。なお、過去には、2002年・2006年に開催されたFIFAワールドカップのチケットの出品が全面的に禁止され、Yahoo!オークションも全面的に協力したことがある。

取引上の問題への対応
Yahoo! JAPANの査定をクリアしたオークションストアであっても、それだけで信頼できるとは限らない。例えば、2006年12月にはオークションストアとして出品していた家電ドットコムが約1,700人の落札者に商品を発送しないという問題が起きた[41]。Yahoo! JAPANは、被害額の補償に80%かつ50万円以下という制限を設けているが、この件では例外的に全額を補償した。
出品者・落札者の評価に対するプライバシーの問題
出品者と落札者が評価を受けた場合、過去にどんな商品を出品・落札したかを知られ、第三者に見られると都合の悪い場合もあり、個別のオークションで商品名や出品者を隠すことができないため、出品者と落札者のプライバシーを侵害する恐れがある[42]。
落札した商品によっては、出品者に「評価はしないでほしい」と要望されることもあるが、評価のコメントをつけられてもYahoo! JAPAN側で評価の削除は行わないとしている[43](「非常に悪い」以外の場合でも同様)。

出品者の決済方法の問題
出品にあたり、決済方法がYahoo!かんたん決済のみで、銀行振込には対応しない場合もある(決済方法で「Yahoo!かんたん決済のみ」にして出品することは禁止されていない)。
Yahoo!かんたん決済で支払えばトラブル口座リストに掲載されている口座へは入金されない利点はある[44]が、クレジットカードを所有していない場合、事前にインターネットバンキングの契約を結ばないと利用できず、地方銀行だと夜間および土・日・祝日の休業日に利用できない場合がある(平日の昼間だけしか利用できない)。
Yahoo!かんたん決済で支払った場合、落札者はどの口座に振り込んだかを知らされず、出品者の口座を確認できない。

その他の管理上の問題への対応
出品した商品の写真をカタログやウェブサイト、あるいは他人の出品などから無断転載している場合があり、これらの出品の中には実際の商品や本物の商品が手元にない詐欺も含まれている(同じ写真を複数の出品で使い回すこともある)。無断転載は著作権法違反であり、Yahoo! JAPANは無断転載をしないように注意を呼びかけ[45]、申告のシステムを設けるなどの対策を講じているものの、出品が取り消される前に落札されてしまうケースも多いため、完全に対応できていない。なお、著作権侵害は親告罪であり、取締りのためには権利者からの告訴が必要である(著作権法第123条)。


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昼神温泉(ひるがみおんせん)

昼神温泉(ひるがみおんせん)は、長野県下伊那郡阿智村(旧国信濃国)にある温泉である。

アクセス

車:中央自動車道飯田山本IC及び園原ICより約10分(園原ICは名古屋方面のみ利用可能)
鉄道:飯田線飯田駅より信南交通バスで約40分。
バス:中央道高速バス駒場バス停(昼神温泉バス停、阿智PAに併設)より車で約5分。
源泉 [編集]

源泉 深度(m) 泉温(℃) 湧出量(l/min) 掘削年月日
第1号井 40.2 32.5 200 昭和48年11月28日
第2号井 71 41.9 400 昭和52年11月27日
第3号井 150 39.0 80 昭和61年7月10日
第4号井 800 44.0 450 平成3年12月28日
泉質 [編集]

アルカリ性単純硫黄泉
pH=9.7(平成15年5月9日、湧出地において(社)長野県薬剤師会調査)

温泉街

温泉施設
「昼神温泉 ホテル はなや」
湯元ホテル「阿智川」
石苔亭「いしだ」
湯多利の里「伊那華」(中日ドラゴンズ選手会納会会場)
「吉弥」
日長庵「桂月」
「恵山」
おとぎ亭「光風」
「山翠」
大門「神明荘」
癒楽の宿「清風苑」
「玉乃湯」
昼神グランドホテル「天心」
リフレッシュin「ひるがみの森」
「みさか」
「むらさわ」
「薬師館」
保養センター「尾張あさひ苑」
公営保養センター「鶴巻荘」
国民年金健康保養センター「ひるがみ」
飯伊森林組合「昼神荘」

朝市
昼神温泉郷の中心部には、「朝市広場」が設置され、午前6時頃から村の特産品や旬の味覚を販売している。
販売品目
野菜
手作りこんにゃく
漬物
いなごの佃煮
アイスクリーム
ジュース

歴史

1973年(昭和48年)1月14日 - 国鉄中津川線建設工事のトンネル掘削のボーリング中に昼神湯ノ瀬地区で温泉が湧出。
1973年(昭和48年)11月9日 - 湯の洞地籍において試掘開始。
1973年(昭和48年)11月28日 - 掘削深度40.2mにて、泉温32.5℃、200リットル/分の温泉が湧出。
1975年(昭和50年)6月23日 - 温泉開発のため阿智開発公社を設立。
1976年(昭和51年)2月20日 - 村営保養センター「鶴巻荘」を設置。
1988年(昭和63年)3月30日 - 昼神温泉観光センターを設置。
中日ドラゴンズの監督である落合博満が、中日ドラゴンズの選手時代に自主トレをこの地で行った。
そのために後輩選手が自主トレに訪れたり、中日ドラゴンズ選手会の納会が行われたりと関わりが強い。

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韓国ドラマ(かんこくドラマ)

韓国ドラマ(かんこくドラマ)は大韓民国(韓国)で製作されたテレビドラマのこと。略称は韓ドラ。

台湾製や香港製と比較して、昔からテーマの暗いものが多い。モンゴルでは、韓国製が爆発的な人気を得ているが、体質は基本的に変わっていないようである。最近ではいわゆる「韓国ドラマ」といったメロドラマだけではなく、「私の名前はキム・サムスン」のような新しいテーマのドラマも放送され、高い視聴率[要出典][誰?]を得ている。

韓国で芸能活動経験を持つ笛木優子曰く視聴者の意見を非常に大切にしているという。雑誌などで今後の展開を予想する企画があればその中の意見を重視して今後の展開を作るし、スタッフが電子掲示板の書き込みを常に気にしているそう。その為、視聴者の意見がよく反映されるのが韓国ドラマの特徴で、ある登場人物が死ぬ展開が予定されていたが、視聴者の意見によりその人物は死ななかったり、その逆もありえるという[1]。

韓国放送公社(KBS)、文化放送(MBC)、SBSの3大テレビ局により、ほとんどのドラマが制作されている。60~70分のドラマを週一回だけではなく、週二回放送する放送枠もあり、製作ペースは非常に早い。
日本の作品をリメイクした韓国ドラマも多い。(恋人よ、恋愛時代、おはよう神様、花より男子など)

放送された経緯
1996年10月、福岡の民放テレビ局であるTXN九州(現・TVQ九州放送)が、開局5周年を記念し、韓国文化放送 (MBC) の現地では「ミニシリーズ」と呼ばれるドラマを3作品放送したことである。その当時はまだ一部のファンだけが見るという状態で、視聴率もあまり良くなかったが、それらの作品にはチェ・スジョン、ハン・ソッキュ、キム・ヘスといった、現代韓国芸能界を支える中核の俳優が出演していた。その中からハン・ソッキュが映画『シュリ』の大ヒットで、日本全国に知られるようになったことから、KNTVなどの衛星放送の韓国語チャンネルで、多くの作品が放送されるようになった。2003年4月~9月、NHKBS2での好評を受け、2004年4月~、NHK総合が放送した「冬のソナタ」のブームによって、放送作品数・放送を行う局が一気に増えた。

放送枠
地上波キー局での動き
ローカル局や独立UHF局、衛星放送を中心に放送されていたが、2004年には地上波放送のキー局である日本テレビが「ドラマチック韓流」、フジテレビが「土曜ワイド・韓流アワー」という専門の放送枠をそれぞれ設けた。しかし、低視聴率や長期間放送などの枷が大きく、約1年後の2005年9月をもって民放地上波での専門枠はどちらも終了した。
一度放送枠を廃止したフジテレビだったが、2010年1月11日より「韓流α」(月曜~金曜 14:07~15:25の時間帯に新設)の形で復活させた。「韓流α」では第1回放送に大ヒット作品『私の名前はキム・サムスン』を据え、完全ノーカット版、日本語字幕付き二ヶ国語放送という斬新な放送形態に加え、フジテレビによる新撮映像(出演者へのインタビュー、作品解説など)を盛り込むなど、他局の韓国ドラマ放送枠との差別化を図っている。同枠をプロデュースしたフジテレビ編成部によれば、「あらためて韓国ドラマの面白さを視聴者に届けよう」という趣旨による放送枠復活という[2]。

民放他局では、テレビ東京系列局などで27時前後の深夜に放送されることがある。TBSは2010年4月21日から水曜21時台の「水曜劇場」枠で『アイリス』の放送を開始し、民放では初めて韓国ドラマをゴールデンタイムで放送することとなった。

地上波ローカル局での動き
2010年1月現在、福岡県では福岡放送が水曜深夜にレギュラー放送枠を設けているほか、前述のTVQでは平日の午前8時台(『朝のドラマシリーズ』枠)と午後0時台後半(『ドラマひるズ』枠)に放送枠を設けている。 関西ローカル局読売テレビで2010年1月5日より、平日の15:50 - 16:48(不定期で休止あり)に「冬のソナタ」を放送している。 北海道のテレビ北海道では、平日朝に『朝のドラマ通り』として韓国ドラマを放送。
地上波独立UHF局での動き [編集]
韓国ドラマを数多く放送している独立UHF局でも、TOKYO MX(地上波では一時期最も多く韓国ドラマを放送していた時期もある)やテレ玉など、本数が一時期よりほとんど無くなってしまっているところも多い。しかし、安く仕入れられるテレビ枠の穴埋め用コンテンツとして依然用いられることもある。関西UHF局のサンテレビや京都放送(KBS京都)では、週2枠以上の放送枠がある。

衛星放送での動き
CS放送においては、衛星劇場を初めとしてテレビドラマを扱うほとんどのチャンネルが韓国ドラマを放映しているが、契約者の中には本来のコンテンツをないがしろにしているという批判の声もある。また、BS放送でも各局で多数の作品を放送している。特にBS日テレやBS朝日では週1回放送される作品に加え、月~金の帯で放送される作品が2~3作品はある。

放送形態
NHK・WOWOW以外の民放局で不自然なところでCMが入るということが多いが、これは韓国では法律で番組中のCMを禁止しているためである(CMは番組開始時及び終了時にまとめて放送する)。また、毎回一定ではい放送時間尺を、日本での放送時は既定の放送枠に拠る“一定の時間尺”に合わせざるを得ないため、一部シーンをカットすることも行われている。これにより視聴者からは「ノーカットで観たい」という意見が放送局に殺到することもあり、これまでにNHKは「冬のソナタ」、「宮廷女官チャングムの誓い」(大長今)を「完全版」としてノーカット字幕での放送を実現させた(前述のフジテレビ「韓流α」も同様)。前述のTVQも、日本語版を制作するに当たり、それらの点に苦労したことを当時他のマスコミの取材で明かしている。
ポケモンショックの対策からディスコやコンサート会場のシーンなどで光の点滅が激しいシーンがある場合には番組の冒頭かその場面において「光の点滅が激しいので視聴には注意をして部屋を明るくして離れてみてください。」などの警告テロップを表示する番組もある。

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おかあさんといっしょ

『おかあさんといっしょ』とは、NHK教育テレビおよび衛星第2テレビで放送されている2 - 4歳児向け教育番組。NHKを代表する番組のひとつである。
新聞テレビ欄等ではよく「お母さんといっしょ」「お母さんと一緒」等と表記されるが、「おかあさんといっしょ」とすべてひらがなで表記するのが正しい。

1959年10月5日に開始し、現在に至る長寿テレビ番組で、日本放送協会の看板番組である。当初は婦人向けの実用番組で、毎週月曜日、20分の生放送だった。1966年3月より同局の幼児番組『うたのえほん』が同番組の歌および体操のコーナーとして併合され、1974年3月に同コーナーが終了したのに伴い、1974年4月1日より放送内容を改編。その後、朝の本放送はNHK総合テレビで月 - 土曜日の朝9:30 - 9:55枠で放送され、夕方の再放送は教育テレビで(総合テレビのころもあった)放送されていたが、1997年4月からは土曜日のみ本放送も教育テレビに移動され、1998年4月より平日の本放送も教育テレビに移動された。2002年4月1日から2010年3月18日まで衛星第2テレビにて『BSおかあさんといっしょ』が放送されていた。2010年度より土曜日の放送は『おかあさんといっしょ あつまれ!土曜日』のタイトルで放送(出演者は通常放送と同じ。年に数回の地方収録は体操のお兄さん、ダンスのお姉さんのみ。)。また、海外向けのNHKワールド・プレミアムでもETV版が放送されている。
着ぐるみ人形劇・歌のコーナー・短編アニメーション・簡単な躾指導(パジャマ・歯磨き)、子供たちと一緒に行うダンスのコーナー・体操のコーナーなどがある。 歌のコーナーからは、「だんご3兄弟」「かっぱなにさま?かっぱさま!」「たこやきなんぼマンボ」といったヒット曲も生まれている。

歌のお兄さん、お姉さんは、元歌手や音楽大学などで声楽を学んだ経験のある人が大半を占めるが、近年は舞台経験者も多く抜擢されている。最近ではコンサートなどの公開イベントがかつての歌中心からミュージカル、劇仕立ての内容に変わってきたこともあり、歌だけでなく演技やダンスといった技能も必要とされる傾向にある。
体操のお兄さん、ダンスのお姉さん(以前は体操のお姉さん)が出演。
赤地に白抜き文字の雲の形をした番組ロゴは、1970年代から使用されている。「おかあさん(改行)と(改行)いっしょ」のものと「おかあさんと(改行)いっしょ」のものが存在し、前者はオープニングでは1992年10月3日まで使用され、エンディング(文字のみ)では2009年3月28日まで使用された。後者はオープニングでは1992年10月5日より使用されており(白地にカラフルな文字のロゴを使用)、エンディングでは2009年3月30日より使用されている。BS版のロゴは後者のロゴの左上に「BS」のロゴが付けられたものである。

スタジオ収録には、公募抽選によって選ばれた一般の子供が参加している。それゆえに撮り直しが難しく、多少のハプニングが発生しても撮影はそのまま続行される。例えば収録中に子供が泣き出してもストップせず、体操の終盤やエンディング時に歌のお兄さん、お姉さん、体操のお兄さんが泣いている子供をあやす姿がよく見られる。ETV版の収録は1999年3月末までは地方のNHKのスタジオで行うこともあった(その場合は出演者などのテロップもその時の担当局から送出していた)が、現在は東京・渋谷の放送センター103スタジオで行われる。地方発のときは土曜日にスタジオ以外のホール等からの公開収録が放映されたこともあった。 NHKが2006年に公開した「ジャンル別番組制作費」によると、同番組の制作費は1本320万円掛かるとのことである。

NHKではスタジオ収録への参加者を募集している[1]。ただし、往復ハガキでの応募は2010年3月25日到着分までとなり、翌3月26日応募分からはWEBでの応募限定かつNHKネットクラブのプレミアム会員でないと応募できなくなる[2]。

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セブン-イレブン(英称:7-Eleven)

セブン-イレブン(英称:7-Eleven)とは米国発祥のコンビニエンスストアである。日本におけるコンビニエンスストア最大手であり、チェーンストアとしても世界最大の店舗数を展開している。日本ではセブンアンドアイグループの持株会社である、株式会社セブン&アイ・ホールディングスの子会社である株式会社セブン-イレブン・ジャパン(英称:Seven-Eleven Japan Co., Ltd. 略:SEJ)が展開している。代表的な略称は「セブン」。

コーポレートスローガンは「セブン-イレブン いい気分!」で、開業当時から使っている。以前は「開いててよかった」もあったが、1990年代には消滅している。本家アメリカでは「Thank Heaven, Seven Eleven」(セブン-イレブン、ありがたい)であり、やはり韻を踏んでいる。
小売店業界の中では、利益率と成長率ともに非常に高い。
その利益の源はフランチャイズ店の展開により、加盟店の個人事業主よりロイヤリティを徴収する形で高い利益率を誇っている。
その加盟店から徴収するロイヤリティは4割強と高く、店舗数も競合他社を上回っている。
最近では高いロイヤリティに関して加盟店側より、裁判が起こされるケースも増えている(通称『ロスチャージ詐欺』裁判が有名である)。(→#加盟店との事件および裁判参照)
2005年9月1日、イトーヨーカ堂、セブン-イレブン・ジャパン、デニーズジャパンの3社で持株会社「セブン&アイ・ホールディングス」を株式移転により設立して経営統合を行った。
国際的展開 [編集]

2009年現在、セブン-イレブンは15の国と地域[7]にコンビニエンスストアチェーンを運営する国際集団である。全世界の店舗数もチェーンストアとしては最大[要出典]である。
発祥の地は米国のテキサス州オーク・クリフ(Oak Cliff)である。アメリカ南部の氷の小売店から始まった。電気冷蔵庫が普及する前、どこの町にも氷店はあったが1927年[8]にセブン-イレブンの前身であるサウスランド・アイス社はサービス向上のため週7日/16時間営業を始め、さらにパンや牛乳なども置くようになった。1946年に現在の名称を用いるようになる。1991年にイトーヨーカ堂の傘下に入る。
名称はアメリカ本土では当初、朝7:00から夜11:00(23:00)まで営業していた(現在は24時間営業が多い)ことに由来している。日本でも以前はこの時間帯で営業している店舗も多数あったが、現在は一部を除いてほとんどの店舗が24時間営業となっている。
日本国内の展開 [編集]

日本国内の運営会社 [編集]


いすゞエルフの配送トラック(セブン-イレブン仕様)
イトーヨーカ堂の子会社・ヨークセブン(現:セブン-イレブン・ジャパン)がアメリカのSouthland Corporation(サウスランド社/現:7-Eleven, Inc.)からライセンスを取得して、日本で事業を開始した。当時、イトーヨーカ堂社内では日本におけるコンビニ事業の将来性に懐疑的であったがこれを推進した鈴木敏文が失敗時には自己が保有するイトーヨーカ堂の株式で穴埋めをすることを条件に、イトーヨーカ堂のオーナーである伊藤雅俊の了解を取り付けた。
その後、アメリカとの商習慣や食習慣の違いからそのままでは通用せず次第に日本の市場に特化していった。おにぎりや弁当の販売、POSシステムの導入、メーカーとの提携による独自商品の開発、店舗周辺の住民構成やその日の天候・近隣の学校のイベントなどに合わせたきめ細かい売場構成を行うなど需要の開拓や流通効率性の向上に努めて高収益を維持している。
元々アメリカで誕生したセブン-イレブンの業態は、日本市場で独自の発展を遂げた。1991年には当時経営に行き詰まっていたライセンス元のSouthland Corporationを逆にイトーヨーカ堂およびセブン-イレブン・ジャパンが買収、子会社化した。そして短期間に奇跡的な業績回復をみせ、米国で大きな話題となった。
7月11日はセブン-イレブンの日である。全国でセブン-イレブン店のオーナー、従業員、本部社員が店舗周辺を一斉清掃する日になっている。ちなみに11月7日にも清掃活動を行い、年2回行っている。
2005年11月よりポール看板が、イトーヨーカ堂と同じくセブン&アイ・ホールディングスのシンボルマークに変更された。
また、旧看板は海外の店舗とは多少異なる。海外の店舗は四方緑に囲まれているが、日本の旧看板は上の部分に緑の部分がない。

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肉体改造(にくたいかいぞう、Body Modification)

これらでは、自らの肉体を意図的に変形ないし切削する事で装飾する。この様式の成立は古く、石器時代にも遡るとされ、古いものでは意識的に付けられた傷(瘢痕)もこの部類に挙げられる。民族学の分野では「身体変工」と呼ばれ、宗教(シャーマニズム)的なものから純粋に美意識に基く装飾まで、様々な様式が見られる。

なお「肉体改造」と表現する場合には、特にボディビルなどのエクササイズを指すこともある。これらでは、肉体を構築(ビルド)する事を目的に、運動やトレーニング、サプリメントの服用などといった行為を行い、近年ではそれらが医学的に研究されたスポーツ医学の分野で、科学的に肉体(筋肉など)を構築する技術が発展している。しかし多くの場合、身体の形状を変更したうえで自然な形に見せる美容整形と区別される。

これらでは人工的に肉体を変形させる事で、所定の美意識に沿った物とする事や、または他人との違いを顕在化させることを目的とし、伝統的なものでは極端に変形させる努力をはらって形を変えた肉体ほど、美しいとされたり社会的地位の獲得に役立った文化もある。

このような文化は比較的広い範囲・様々な時代で数多くの事例が存在しており、極端な物では肉体の持つ機能を損なう物まで見られ、それらでは他の文化圏から「未開で野蛮な行為」だとされたり、また幼少期から時間をかけて変形させる物では「野蛮で残酷な習慣」と見なされ、差別の理由に挙げるケースまで見られた。

これらでは、手法が完成された物や、ある文化圏で習慣的に行われているもの等、様々な様式が見られる。
現代では廃れたもの [編集]
纏足
抜歯
宦官 - 中国などにおける自宮宦官の完全去勢も、特定の職業集団に加入するための身体改造の一種である。
頭骨変形 - マヤ文明では乳幼児の頭蓋骨を板ではさんで変形させ、縦に伸ばす行為が流行していた。
頭部穿孔
瘢痕模様 - 傷を意図的に化膿させて盛り上がらせ、これを緻密な模様にしていく文化もある。
女性器変工 - コイコイ人における「ホッテントットのエプロン」が有名。
コルセット - 長期間の使用は、肋骨や内臓を変形させることがある。
現代も行われるもの [編集]
刺青、タトゥー
ピアス、ボディピアス
グリル (アクセサリー)‎
肉体穿孔 - 現代のピアスにも通じるが、文化圏によってはこの穴を徐々に広げて、肉体の一部を輪状(紐状とも)にしてしまうものもある。
割礼
女性器切除
靴 - 靴の使用は足の変形をともなう。女性用の靴に著しい。
伝統的背景を持たないもの [編集]
インプラント - ビーズや金属などの埋め込み
スカリフィケーション
生理食塩水の皮下注入による身体変形 - こぶの形成や皮膚の一部を伸ばす事で垂れ下がらせる。
スプリットタン - 舌に切れ目を入れ、蛇のような二股にする。
器官切除 - 指や腕などを自らの意思で切り落とす・通常は外部に露出しない部分を切開して開放状態のままにする行為も見られる(男性生殖器の尿道切開など)。
性器切除

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子供(こども)

子供(こども)は、年齢の若い者(年少者)、未成年者(成年に達していない者)、親もしくは大人の庇護を受けている者、小人(しょうにん)を指す。または親族において、親などの前の世代にあたる者に対して息子・娘などの後の世代にあたる者を意味することもある。

何歳までを「子供」とするかについては、子供観での慣習あるいは法制などで異なる。例えば、日本においては、選挙権行使、喫煙や飲酒、馬券等の購入・換金は20歳から、パチンコ、ポルノは18歳から、婚姻できるのは男は18歳、女は16歳から(ただし、20歳未満は親の同意が必要)、また犯罪を行った時に刑事処分可能となる年齢は14歳からとされるなど、制度上の年齢基準は個別法により異なり統一されてはいない。また、社会通念上、学生・生徒である場合は「子供」と扱い、社会人であれば「大人」と扱う場合も多いが、一般的には高校生程度まで、せいぜい範囲を広げても大学生あたりの世代までが子供という範疇に入るものと思われる。
また、子供と大人の間に青少年というカテゴリーを設ける場合も、その境界線は一定ではない。ただ大雑把な分類として、日本では以下のような分け方がある。
未成年者 - 20歳未満の男女
少年 - 中学生以上20歳未満の男子(日本の少年法の定義では20歳未満の男女、児童福祉法では、小学校就学の始期から、満十八歳に達するまでの男女)
少女 - 中学生以上20歳未満の女子
児童 - 満18歳に達するまでの者(児童福祉法の定義による。母子及び寡婦福祉法では満20歳に達するまでの者。児童扶養手当法では満18歳に達してから最初の3月31日を過ぎるまでの者。学校教育法ではまた異なる定義)
幼児 - 満1歳以上就学前の者(同上)
乳児 - 生後1年未満の者(同上)
青少年 - 中学校卒業後20代前半くらいまでの男女(日本における青少年保護育成条例の定義では18歳未満の男女)
青年 - 中学校卒業後20代後半くらいまでの男子(JICAの青年海外協力隊募集年齢では20歳から39歳まで)
昨今の国民投票法案可決の事例とその内容から、成人年齢等の見直しの声も一部にある。

教育や福祉などの世界では、「子供」という表記を避けて「子ども」または「こども」という表記が推奨されることがある。 その理由として挙げられるものには、以下がある。
「子供」の「供」の字は、「お供」、すなわち子が大人の付随物であると連想させるため。
「子供」の「供」の字は、神に奉げる「供え物」の意味につながるため。
「子供」の「供」は当て字であり漢字に意味はないので、ひらがなにすべきである。
「子供」よりも「子ども」「こども」と表記した方が、ソフトで親しみやすい印象を与える(差別であるとは必ずしも主張しない)。
一方、「子供」という表記が差別的であるとの上の第1・第2の意見に対しては、言葉の歴史的変遷に基づく以下の反論がある[1]。
「こども」の語源は、万葉集において「子」の複数を表す「胡藤母」・「子等」である。このうち「子等」は上代から室町時代まで用いられた。
院政期頃から「子等」に代わって「子共」という表記に増え始め、複数の「子」を表すのに「こどもたち」「子共衆」などと呼ぶようになる。つまり、この時代から、「こども」が複数の「子」ではなく単数の「子」を表す意味でも用いられるようになった。
「子共」が「子供」と表記されるようになったのは、近世に入ってからである。
つまり、「こども」の原義は、「男共」「女共」などと同じく複数をあらわす接尾語「共」・「ども」に由来しており、「供」は単なる当て字に過ぎないため、付随物や供え物などを含意していない。
さらに、「供」の字が差別であるか否かに関わらず、「子ども」という漢字かな交じりの表記に対する以下のような反対も存在する。
これは言葉狩りの一例である。
「供」の字の使用は、法律で使うことが禁止されている訳でも、現在の日本社会において一般的には道義的な悪とされているわけでもない。
熟語を漢字とひらがなとの交ぜ書きにすることは、日本語についての美意識に反する(なお、「供」は教育漢字であり、小学6年で習う漢字である)。
「供」は、現代において複数の意が薄れており、「子供」で一つの語となっている(その論拠として、「共」ではなく「供」の字を使っていること、複数の「子」を指すのに「こどもたち」「こどもら」とも表現すること、また、「こどもが一人いる」という表現が成立すること、などが挙げられる)。
「子ども」の「ども」は、罵って「豚ども」「○○人ども」などと言う時の見下した他称表現と重なるので、「子供」よりもむしろ「子ども」の方が差別的になってしまう(「子ども」という表記に問題がないのであれば、こどもが先生に対して「先公ども」と表現することも問題のないことになる)。
当てられている漢字の語義を問題にするなら、「児童」の「童」には「しもべ」「愚か」という意味があるため、「児童」も同様に「児どう」と表現しなければならなくなるなど、現在一般に用いられている様々な漢字表記に支障をきたしてしまう。
もし「子供」の「供」の字だけが差別であるのなら、「子供」に代わり古い時代に用いられていた「子共」という表記に戻すことで問題は解決する。

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鎌倉(かまくら)

鎌倉(かまくら)は、現在の神奈川県鎌倉市の中心部に当たる地域。源頼朝によって鎌倉幕府が置かれた都市であり、三浦半島の付け根に位置し、相模湾に面している。古くは鎌府(れんぷ)とも呼ばれた。

中世から近世まで続く武家政権の発祥の地として日本国の歴史の中で重要な役割を果たし、鎌倉時代には日本の政治において最も重要な位置のひとつを占めていた。12世紀末から14世紀半ばの1333年まで幕府が置かれた。
近代に入ってからの鎌倉には鎌倉文士と呼ばれる作家、美術家などの文化人が集まり住み、数多くのドラマや小説などの舞台にもなってきた。
現在の鎌倉は古都保存法によって乱開発が規制され、歴史的風土を残し、古社寺や史跡、国宝・円覚寺舎利殿を含めた文化財が比較的多く残る。また市が観光振興に力を入れていることもあり、観光を主な産業として今なお繁栄する。
歴史 [編集]

鎌倉には縄文時代から弥生時代にかけての遺跡もあり、杉本寺、長谷寺、甘縄神明社のように創建を奈良時代と伝える社寺も存在する。
万葉集にも登場し、三浦半島から房総半島へ抜ける古代の東海道が通っていた。律令体制下、相模国鎌倉郡の行政の中心となり、平安時代末期には平直方が居館を構え、平忠常の乱鎮圧を源頼信に委ねて以来、河内源氏ゆかりの地となった。
しかし、鎌倉が歴史の表舞台に登場するのは源頼朝の登場以降である。奈良時代から平安時代中期にかけての鎌倉の実情については、史料が乏しく、あまり明確ではない。
源氏と鎌倉 [編集]


伝源頼朝像
康平6年(1063年)源頼義は由比郷鶴岡(鎌倉市材木座)に「鶴岡若宮」として、河内源氏の氏神である河内国石川郡壷井の壷井八幡宮を勧請した。この年は、源頼義が陸奥の安倍貞任を討ち、前九年の役が終結した翌年である。源頼義は、氏神として信仰する八幡神に戦勝を祈願していた。そして、戦いの後、京都郊外の石清水八幡宮に勝利を感謝し、本拠地の河内国壷井に壷井八幡宮を勧請し、河内源氏の東国進出の拠点である鎌倉に八幡神の分霊を祀った。これが今も鎌倉の中心である鶴岡八幡宮の起源である。
源頼朝が鎌倉入りしたのは、それから1世紀以上経た治承4年(1180年)のことである。頼朝の父・源義朝は、平治の乱(平治元年/1159年)で平清盛との戦いに敗れ、関東へ落ち延びる途中、尾張国で殺害された。これが初陣であった若き頼朝も殺されるはずであったが、清盛の継母にあたる池禅尼の助命嘆願で許され、摂津源氏の源頼政一族の知行国でもある伊豆の蛭ヶ小島へ流された。それから20年後の治承4年(1180年)、以仁王が頼政の嫡子の「前伊豆守」源仲綱を通じて全国の源氏に発した令旨を奉じた頼朝は、流刑先の伊豆で平氏打倒の兵を挙げる。頼朝の軍は石橋山の戦い(神奈川県小田原市)では敗北して、いったん安房(千葉県南部)へ引き下がるが、ここで軍勢を整えて、続く富士川の戦いでは平維盛らの軍勢を圧倒する。関東を平定した頼朝は父祖ゆかりの地であり、天然の要害である鎌倉に入り、大倉(大蔵)という場所に館を設ける。現在の鶴岡八幡宮の東方、清泉女学院小学校のあたりがその館跡で、ここは後に「大蔵(倉)幕府」と呼ばれるようになる。
同じ治承4年(1180年)、頼朝は八幡宮(鶴岡若宮。由比若宮)を由比郷鶴岡から小林郷へ移す。小林郷は現在の鶴岡八幡宮の所在地であり、「鶴岡」は地名ごと移動してきたことになる(なお、由比若宮の旧地には、今も「元八幡」という小社が残る)。以後、鶴岡八幡宮は鎌倉の象徴となり、都市計画は八幡宮を中心に行われた。寿永元年(1182年)には八幡宮の表参道が整備された。現在も鎌倉のメインストリートである若宮大路がそれである。当時、水田の中の道だった若宮大路は、石を積んで周囲の地面よりかさ上げする工事が行われた。現在「段葛」(だんかずら)と呼ばれている、両脇の車道より一段高くなった歩道はその名残である。
鎌倉時代の始まり [編集]
「鎌倉時代」あるいは「鎌倉幕府」の始まりをどこに置くかは、研究者によって見解が分かれている。
頼朝が鎌倉入りした治承4年(1180年)とする。
後白河法皇から守護地頭の設置を許可され、平家(平氏の中の伊勢平氏庶流の平清盛一族のこと)が壇ノ浦で滅亡した文治元年(1185年)とする。
頼朝が征夷大将軍に任じられた建久3年(1192年)とする。
どの年を「鎌倉時代」の最初の年とするかについては、上に挙げた以外にも二、三の説があるが、武士の街としての鎌倉の始まりは頼朝が鎌倉に館を構えた1180年とみて大過ないであろう。この時点から日本の政治体制は変化し、明治維新まで700年近く続く、武家社会、封建社会が始まったのである。
周知のように河内源氏の源頼朝の家の正系の将軍は3代で途絶え、3代将軍源実朝が甥(実朝の兄である2代将軍源頼家の子)の公暁に殺害されてからは、北条氏が実権を握ることになる。この当時(12世紀末~13世紀初頭)は、京都の中央政府(院政)の力も衰えておらず、中央(都、首都)と鎌倉の二元的支配体制であったが、承久3年(1221年)の承久の乱(後鳥羽上皇が倒幕を企て、北条義時の追討を命じるが、失敗して隠岐に配流される)以後、鎌倉側の政治的優位は決定的となり、鎌倉は名実共に、日本の行政府所在地となったといえる。
北条氏は比企氏、三浦氏、和田氏など、ライバルとなるおそれのある一族を次々と滅ぼし、13世紀中頃以降は元冦という大事件があったものの、政治体制は一応安定していた。13世紀後半には建長寺、円覚寺をはじめとする禅寺が建てられ、鎌倉大仏が造立され、鎌倉五山の成立や、日蓮が活躍するなど、仏教文化が大いに栄えた。
その後、元寇をきっかけに幕府財政は逼迫し、内管領の長崎氏の専横などで、地方では悪党が活動する。こうした中で後醍醐天皇は倒幕を企てる。元弘3年(1333年)、天皇の意を受けた新田義貞軍は鎌倉を陥落させ、北条高時ら一族と家臣は東勝寺合戦において自決し、鎌倉幕府は滅亡した。


鶴岡八幡宮と大イチョウ
室町・戦国~江戸時代以降 [編集]
建武の新政においては関東統治のため鎌倉将軍府が置かれ、足利尊氏の弟である足利直義が成良親王を奉じて派遣される。35年に北条氏の残党勢力による中先代の乱が起こり鎌倉が奪還されると、討伐のために赴いた尊氏が戦後に鎌倉を拠点に建武政権から離反する。足利軍は36年に京都を奪還し、京都に武家政権を成立させ、南北朝時代の貞和5年(正平4年、1349年)には、鎌倉へ尊氏の子の足利基氏が派遣され、東国支配のための出先機関として鎌倉府が設置される。(その長官が鎌倉公方)。
室町時代には鎌倉府は京都の幕府と対立し、永享の乱などが起こる。康正元年(1455年)、5代公方の足利成氏は室町幕府側と対立し、下総国古河(茨城県古河市)に逃れて、以後「古河公方」となる。永正9年(1512年)には北条早雲が現在の鎌倉市大船に小田原城の支城である玉縄城を築いた。
太田道灌が江戸を形作り、近世には武家政権が成立し、鶴岡八幡宮は徳川家康・秀忠の保護を受け社殿の修理も行われたが、太田道灌を輩出した鎌倉が、以降の政治の表舞台に立つことはもはやなかった。
江戸時代中期からは、鎌倉は江戸近郊の遊楽地となった。「鎌倉十橋」「鎌倉十井(じっせい)」などのいわゆる「名数」は江戸時代の有数の一大観光地として名付けられたものという。
近代になると、鎌倉は、海水浴場や観光地として栄えるようになる。また、鎌倉文士と呼ばれる多くの文人らが誕生した。現代の鎌倉は、多くの史跡、観光地、そして良好な自然環境を残す住宅地を有するエリアとして発展している。
略年表
康平6年(1063年)河内源氏の源頼義は由比郷鶴岡に、河内国の壷井八幡宮を勧請。由比若宮(鶴岡若宮)と称す。
治承4年(1180年)源頼朝、伊豆で平氏打倒の挙兵。石橋山の戦い。由比若宮を由比郷鶴岡から小林郷へ移す。
文治元年(1185年)守護地頭の補任が後白河法皇から許可される。壇ノ浦で平家滅亡。頼朝、父義朝の菩提のため勝長寿院(廃絶)を建立。
文治5年(1189年)頼朝、永福寺(ようふくじ、廃絶)造営を始める(1191年とも)。
建久3年(1192年)頼朝、征夷大将軍となる。
正治元年(1199年)頼朝没。
正治2年(1200年)頼朝の妻北条政子、夫の菩提のため寿福寺を建てる。
建仁3年(1203年)2代将軍源頼家の外戚(妻の実家)比企氏が滅ぼされる。頼家は伊豆国修禅寺(伊豆市)に幽閉され、翌年殺害される。同年、頼家の弟・源実朝が3代将軍となり、北条時政が初代執権となる。
建保元年(1213年)北条時政の子・義時が侍所別当和田氏を滅ぼす。
承久元年(1219年)源実朝、甥の公暁に殺害される。以後、将軍は傀儡となり、北条政子(頼朝の妻)とその弟の北条義時が実権を握る。
承久3年(1221年)後鳥羽上皇が倒幕を企て、北条義時の追討を命じるが失敗し、上皇は隠岐に配流される(承久の乱)。
嘉禄元年(1225年)北条政子没。
貞永元年(1232年)北条泰時により御成敗式目が制定される。
建長4年(1252年)鎌倉大仏鋳造開始される。
建長5年(1253年)建長寺完成。日蓮、辻説法を始める。
弘安5年(1282年)円覚寺完成。日蓮没。
元弘元年(1331年)後醍醐天皇による倒幕計画が発覚。関係者が処分される(元弘の変)。
元弘3年(1333年)新田義貞、鎌倉を攻略。北条高時ら一族、東勝寺にて自害。鎌倉幕府崩壊。
貞和5年(正平4年、1349年)足利尊氏、次男基氏を鎌倉公方に任命。
永享10-11年(1438-1439年)鎌倉公方足利持氏、関東管領の上杉憲実と対立。6代将軍足利義教は持氏追討を命じ、持氏は自刃(永享の乱)。
康正元年(1455年)鎌倉公方足利成氏は将軍足利義政の命を受けた今川範忠に攻められ、下総古河へ逃れる。
永正9年(1512年)北条早雲、玉縄城を築く。
文化 [編集]

武家による社会の仕組みや文化は「武家の古都・鎌倉」から広がり、日本人の価値観や行動様式に大きな影響を与えてきた。これらの精神的文化的遺産は、政治・経済・宗教など様々な分野において、武家政権消滅後も日本人のよりどころとして多くのものが現在まで受け継がれている。
鎌倉時代には、従来からあった真言宗と律宗に加え、鎌倉新仏教(禅宗・浄土宗・時宗・日蓮宗など)が興隆し、全国に広まり、その後の日本人の宗教のあり方や方向性に多大な影響を与えてきた。また、同時代において制定された武家政権独自の法である御成敗式目は、 土地占有者にその所有を認める土地制度や、法理と根拠に基づく裁判という考え方を形作り、現代にまで引き継がれている。
この時代には、東国の鎌倉と西国の京という二つの中心ができ、武士が日本各地の土地を支配した。遠隔地間や南宋・元との貿易も盛んになり、銭貨が輸入されたことにより、貨幣経済が広がった。これら背景に為替制度が誕生するなど、鎌倉時代はその後の日本における経済的発展が準備された時代ともなっていった。

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美空 ひばり(みそら ひばり、1937年(昭和12年)5月29日 - 1989年(平成元年)6月24日)

美空 ひばり(みそら ひばり、1937年(昭和12年)5月29日 - 1989年(平成元年)6月24日)は、日本の歌手、女優。数々のヒット曲を歌い、銀幕スターとして多数の映画に出演した。昭和の歌謡界を代表する歌手、女優である。
横浜市磯子区滝頭出身。横浜市立滝頭小学校、精華学園高等部卒業。女性として初の国民栄誉賞を受賞した。本名は加藤 和枝(かとう かずえ)。愛称は御嬢(おじょう)。身長150cm。

1988年、福島県いわき市塩屋崎を舞台に作詞されたのが縁で、「みだれ髪」の(結果的にこれが最後のレコーディング曲となった)歌碑が建立された。ひばりの死後ここを訪れるファンが増え続け、1990年に新たなひばり遺影碑が立てられ、周辺の道路420m区間もいわき市が整備を行い「ひばり街道」として1998年に完成した。さらに2002年には幼少期のひばり主演映画「悲しき口笛」のひばりをモデルにした銅像も建立になった。現在は毎年約30万人のファン・観光客が、ひばりを偲んで訪れる。

1993年、京都市の嵐山に「美空ひばり館」が開館、愛用品のコレクションなどが展示され、ファンや観光客が訪れていた。しかし来館者数の減少により、2006年11月30日に惜しまれつつ一旦閉館となったが、運営主体を「ひばりプロダクションに変更し、2008年4月26日に京都嵐山美空ひばり座と改名のうえリニューアルオープンした。
2005年公開の映画『オペレッタ狸御殿』(鈴木清順監督)では、デジタル技術でスクリーンに甦りオダギリジョーやチャン・ツィイーと共演した。

死後20数年を経た現在も尚、日本を代表する伝説的ボーカリストとして多くのアーティストやタレントに影響を及ぼし、企画盤や未発表曲が定期的に発表、ビデオ上映コンサートも開催されるなど、永遠の歌姫として根強い人気を獲得している。レコードの累計売上は8000万枚に達する。

大阪・北野劇場に「美空ひばりショー」で来演したひばりのお芝居の相手役(東京公演では津川雅彦が演じた役)を当時同劇場の専属コメディアンで売り出し中の大村崑が抜擢されたが、大村が登場する度に馴染みの観客が笑うので母・喜美枝の怒りに触れ大村は下ろされる。(その後その役は堺駿二が務めた)。大村はその時の悔しさを忘れなかった。それから年月が経ち、1970年9月に新宿コマ劇場で香山武彦と共演した際に「弟がお世話になってます」と、ひばりから食事の招待を受ける。ここぞとばかりに当時の事を母・喜美枝に話すと「崑さん、お嬢も今までたくさんいじめられてきたのよ。貴方は私だけでしょ。」と慰められる。すると、ひばりが大村の為だけに耳元で「柔」を熱唱。それに感激した大村は全ての事を水に流したと言う。その時、ひばりから贈られたお守りは今も肌身離さず大切にしている。

ひばりは各界の大物スターたちとの交友が深かったが、特に王貞治(プロ野球選手)とは『義姉弟』(王貞治本人談)というほど、相肝照らす仲であった。
一部週刊誌にて、在日朝鮮人であるかのような記述があったが、同年に出版された週刊文春により、今のところ何の根拠もないデマであるとされている。
主な代表的作品 [編集]

下記に主な代表作を記述する。詳細は公式サイトの全映画出演作・ディスコグラフティーリストを参照。
ひばり代表曲・シングル売上 [編集]
柔(1964年) - 190万枚
川の流れのように(1989年) - 150万枚
悲しい酒(1966年) - 145万枚
真赤な太陽(1967年) - 140万枚
リンゴ追分(1952年) - 130万枚
みだれ髪(1987年)
港町十三番地(1957年)
波止場だよ、お父つぁん(1956年)
東京キッド(1950年)
悲しき口笛(1949年)
(シングル売上は再発盤を含む。2000年5月現在、日本コロムビア調べによる)
順位・枚数の出典は、「あのころ番付 ひばり『柔』は190万枚」『日経プラスワン』2000年6月24日付、1頁。
主な出演映画 [編集]
踊る竜宮城(1949年、松竹)
悲しき口笛(1949年、松竹)
東京キッド(1950年、松竹)
鞍馬天狗 角兵衛獅子(1951年、松竹)
リンゴ園の少女(1952年、松竹)
ジャンケン娘(1955年、東宝)
ロマンス娘(1956年、東宝)
大当り三色娘(1957年、東宝)
花笠若衆(1958年東映)
べらんめえ芸者(1959年、東映)
女ざむらい只今参上(1958年、東映)
忠臣蔵(1959年、東映)
天竜母恋い笠(1960年、東映)
ひばり・チエミ・いづみ 三人よれば(1964年、東宝)
ひばりのすべて(1971年、東宝、日本コロムビア)
女の花道(1971年、東宝)
など多数。
主なシングル作品 [編集]
河童ブギウギ(1949年)
悲しき口笛(1949年)
東京キッド(1950年)
越後獅子の唄(1950年)
私は街の子(1950年)
あの丘越えて(1951年)
お祭りマンボ(1952年)
津軽のふるさと(1952年)
リンゴ追分(1952年)
ひばりのマドロスさん(1954年)
伊豆の踊り子(1954年)
波止場だよ お父つぁん(1956年)
港町十三番地(1957年)
車屋さん(1958年)
哀愁波止場(1960年)
ひばりの佐渡情話(1962年)
哀愁出船(1963年)
柔(1964年)
悲しい酒(1966年)
真赤な太陽(1967年)
芸道一代(1967年)
むらさきの夜明け(1968年)
熱濤(いのり)(1968年)
人生一路(1970年)
ある女の詩(1972年)
一本の鉛筆(1974年)
さくらの唄(1976年)
雑草の歌(1976年)
おまえに惚れた(1980年)
裏町酒場(1982年)
笑ってよムーンライト(1983年)
残侠子守唄(1983年)
しのぶ(1985年)
愛燦燦(1986年)
みだれ髪(1987年)
川の流れのように(1989年)
など多数。
ドキュメンタリー [編集]

映画『ひばりのすべて』 - 監督:井上梅次 芸能生活25周年を記念して製作されたドキュメンタリー。ステージの模様を中心に、彼女の華やかな舞台裏の日常の姿を赤裸々に描く。
NHKスペシャル『最期のひばり~日記が明かす空白の4か月~』(2003.10.19放映)-ディレクター:山登義明。最期の時を克明に記録した未公開日記が紹介された。
テレビ番組 [編集]

NECサンデー劇場「かわだぶし物語」(1961年、NET) - 天才少女歌手 ※特別出演
東芝日曜劇場
第378回「女優シリーズ 下町の空」(1964年、TBS)※ドラマ初主演
第720回「花が実を結ぶとき」(1970年、TBS) - 嘉子
美空ひばり劇場(1964~65年、TBS)
第1回~第4回「おこま」
第5回~第7回「神楽師」
第8回、第9回「仇討ごよみ」
第10回~第13回「お白粉人形」
第14回 ミュージカルショー「髪」
第15回~第17回「女侠一代」
第18回、第19回「李朝残影」
第20回~第22回「振袖剣士」
第23回「寿初春歌姫七姿」
第24回~第26回「弁天小僧」 - 菊
第27回、第28回「七福神のなぞ」 - 老中阿部伊予守の姫君
第29回、第30回「兄・私・弟」前編・後編 - 節子
第31回~第33回「唐人お吉」(「花の巻」「蝶の巻」「風の巻」)
第34回、第35回「今日もまた蝉が鳴く」前編・後編
第36回~第39回「出雲のお国」- お国
美空ひばり劇場「風流深川唄」 - お小夜(1966年、TBS)
ひばり・与一の 花と剣(1966年、フジテレビ)
大奥(1968年、関西テレビ/東映) - 和宮(家茂正室)
第48話「嵐に立つ花」
第49話
あゝ忠臣蔵(1969年、関西テレビ) - お軽
銭形平次 (フジテレビ)
第158話「獅子の舞」(1969年)
第231話「矢場へ来た用心棒」(1970年)
スペシャル(第888話・最終回)「ああ十手ひとすじ!!八百八十八番大手柄 さらば我らの平次よ永遠に」(1984年)
ザ・ガードマン 第285回「ひばりの愛の逃亡姉妹」(1970年、TBS)
柳生十兵衛第27話「殴り込み中仙道」 - お甲(1970年、フジテレビ)※特別出演
徳川おんな絵巻(1970年、関西テレビ) - お初
第5話「お転婆娘の御殿奉公」(出羽国本庄藩六郷家前編)
第6話「お初の仇討ち」(出羽国本庄藩六郷家後編)
銀河ドラマ「満開の時」(1971年、NHK) - 美人芸者
金曜スペシャル「初春はひばりとともに」(1972年、東京12チャンネル)
長谷川伸シリーズ道中女仁義(1973年、NET)- 女やくざ
大江戸捜査網(東京12チャンネル/三船プロ)
第213話「火花散る隠密七変化」(1975年)
第438話「女三味線わかれ唄」(1980年)
吉宗評判記 暴れん坊将軍 Iシリーズ(テレビ朝日、東映) - お奈津
第12話「紀州から来た凄い女」(1978年)
第13話「嵐を呼んだ江戸土産」(1978年)
第27話「柳生一族を斬る女」(1978年)
第38話「黒潮の渦を斬る女」(1978年)
幾山河は越えたけど-昭和のこころ・古賀政男第1部、第2部(1979年、NHK)
水曜ドラマスペシャル「女コロンボ危機一発!」(1985年、TBS) - 水木一枝
木曜ドラマストリート「熱血女先生!まるでセンチな乙女のように」(1986年、フジテレビ)
忠臣蔵・いのちの刻(1988年、TBS) - 照月尼
パパはニュースキャスターお正月スペシャル(1989年、TBS) ※特別出演
徹子の部屋(テレビ朝日)
今夜は最高!(日本テレビ)
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ジェイコム株大量誤発注事件(ジェイコムかぶたいりょうごはっちゅうじけん)

2005年12月8日、新規上場したジェイコム(現・ジェイコムホールディングス)の株式において、みずほ証券(旧法人)が誤注文し、株式市場を混乱させた事件。俗に「ジェイコムショック」とも呼ぶ。

この事件で注目を受けたジェイコム株式会社(現・ジェイコムホールディングス)は、人材派遣業を主とする企業である。特に、携帯電話・情報通信の営業支援・販売促進業務のアウトソーシングを行う会社として知られている。
なお本件には全く無関係な、社名やブランド名の発音が似ているジュピターテレコム(ブランド名がJ-COM、ジェイコム。ケーブルテレビやインターネットプロバイダ、電話事業)や、JTBグループの株式会社ジェイコム(イベント等の総合プロデュース業)、その他全国にある同名のジェイコム社にも、本事件に関して問い合わせが殺到した。

2005年12月8日の午前9時27分、この日東証マザーズ市場に新規上場された総合人材サービス会社ジェイコム(当時。証券コード:2462)の株式(発行済み株式数14,500株)において、みずほ証券の男性担当者が「61万円1株売り」とすべき注文を「1円61万株売り」と誤ってコンピュータに入力した。
この際、コンピューターの画面に、注文内容が異常であるとする警告が表示されたが、担当者がこれを無視して注文を執行した。「警告はたまに表示されるため、つい無視してしまった」(みずほ証券)という。 この注文が出る直前までは、90万円前後に寄り付く気配の特買いで推移していたが、大量の売り注文を受けて初値67.2万円がついた。その後、通常ではありえない大量の売り注文により株価は急落し、9時30分にはストップ安57.2万円に張りついた[1]。
この大量の売り注文が出た瞬間から電子掲示板で話題騒然となり、様々な憶測が飛びかった。「誤発注である」と見て、大量の買い注文を入れた投資家がいた一方で、価格の急落に狼狽した個人投資家が、非常な安値で保有株を売りに出すなど、さまざまな混乱が生じた。

担当者は、売り注文を出してから1分25秒後に誤りに気付き、3回にわたって売り注文の取消し作業を行ったが、東証のコンピューターは認識しなかった。「東証と直結した売買システム」でも取り消そうとしたが、こちらにも失敗した。東証に直接電話連絡して注文の取り消しを依頼したが、東証側はあくまでもみずほ証券側から手続きを取るように要求した。その間にも、買い注文は集中しはじめ約定されてしまう危険性があったことから、みずほ証券は全発注量を「反対売買により買い戻す」ことを決定する。

反対売買の執行により、すべての注文は成立し株価は一気に上昇し、9時43分には一時ストップ高77.2万円にまで高騰する。その後、他の証券会社や個人トレーダーの利益確定売りや押し目買いなどにより、株価は乱高下をともない高騰し、結果として10時20分以降はストップ高である77.2万円にはりついた。みずほの反対売買にもかかわらず、すでに注文を出されていた9万6,236株の買い注文については相殺しきれず、そのまま市場での売買が成立してしまった。

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竜頭滝(りゅうずのたき)

竜頭滝(りゅうずのたき)は、栃木県日光市にある滝。奥日光地域を代表する滝の一つで、華厳滝、湯滝と共に奥日光三名瀑の一つに挙げられる。


湯ノ湖に端を発し戦場ヶ原を流れ下ってきた湯川の末流にかかる滝。長さ約210mの急斜面を途中で二手に別れ[2][3]、まるで大岩を噛むように豪快に流れ下る。「竜頭」の名前は、二枝に分かれた滝を正面から見た姿を龍の頭に見立てたものとされ[2][3]、二手の流れを髭に見立てたとも[4]、中央の岩を頭部に見立てたとも[4]言われる。
滝は下流側正面の観瀑台から眺めるのがよいと言われるが[2][5]、東側面には散策路があり[4][5]、急流状になっている滝を側面から見ることもできる[4]。かつては上流部の一部を龍雲滝(りゅううんたき)と呼び分け、滝下流部と区別していた時期もあったという[4]。竜頭の滝の黒々とした[6]岩壁は、男体山の火山活動の末期に噴出したデイサイト質の軽石流が形成したもので、かつて巨大な湖だった戦場ヶ原を埋め尽くしたものがここまで流れ下ってきたものである。滝を下った湯川はすぐ下流で地獄川の右支流となり、0.5km先[7]で中禅寺湖に流入している。

新緑や[2]ツツジ(トウゴクミツバツツジ)の咲く季節[1][3][8][9][6]、紅葉[1][2][3][6]の景観が見頃であると言われ、その時期には観光客で賑わう[6]。奥日光一帯では紅葉が訪れる時期が最も早い場所でもある[6]。

東武鉄道東武日光駅から東武バス日光で「竜頭の滝」下車、徒歩1分[2]。

出典 [編集]
^ a b c 「竜頭ノ滝-りゅうずのたき-」『日光パーフェクトガイド』 日光観光協会編、下野新聞社、1998年3月30日、初版、146頁。ISBN 4-88286-085-6。2010年6月6日閲覧。
^ a b c d e f g 『日光・那須 2001-02年版』 昭文社〈まっぷるマガジン〉、2001年4月15日、60頁。ISBN 4-398-22948-5。
^ a b c d 『日光・那須 '10』 昭文社〈まっぷるマガジン〉、2009年4月15日、58頁。ISBN 978-4-398-26412-1。
^ a b c d e 奥村 2000, p. 95
^ a b 毛利好彰 『日光・那須・塩原』 実業之日本社〈ブルーガイドブックス〉、1988年、74頁。ISBN 4-408-00009-4。
^ a b c d e 『見たい・知りたい・遊びたい とちぎ探検隊 市町村ガイドブック 2004年度版』 下野新聞社編、下野新聞社、2004年4月27日、113頁。ISBN 4-88286-238-7。
^ 国立公害研究所編集委員会, ed. (1984年3月31日), “研究の意義と概要” (PDF), 中禅寺湖の富栄養化現象に関する基礎的研究, 国立公害研究所研究報告, 第69号, 国立公害研究所, p. 2, 85003751 2010年6月7日 閲覧。
^ 奥村 2000, p. 93
^ 小杉国夫 「西ノ湖〜中禅寺湖」『栃木の日帰りハイキング』 下野新聞社、1998年2月1日(原著1994年4月22日)、改訂版4版、50-51頁。ISBN 4-88286-088-0。


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チョン・ジュノ(Jung Joon-ho、1970年10月1日 - )

チョン・ジュノ(Jung Joon-ho、1970年10月1日 - )は、韓国の俳優・モデル。慶熙大学演劇映画学科卒。身長183cm、体重76kg、血液型A型。独身。

ゴルフ場でアルバイトしているところ、モデルのスカウトをうけ芸能界へ。95年MBCドラマ「同期間」で芸能界デビュー。その後CMやテレビドラマで活躍後、映画界へ進出。ラブストーリーの貴公子役からシリアスな悪役、そしてユーモアたっぷりのコメディーまで様々な役柄をこなす韓国屈指の実力派俳優である。どちからと言えば、笑いを誘うコミカルな役柄を演じることが多い。 2008年のドラマ「ラスト・スキャンダル」では特に高い人気を得ており、同作品では最優秀主演男優賞と故チェ・ジンシルと共にベストカップル賞を受賞している。司会者としてのスキルも高く、ユーモアのある安定した司会に定評がある。韓国最大の映画祭である青龍映画賞の司会進行を7年連続で務めるほか、イベントや親しい俳優の結婚式の司会を担当することも多い。 ボランティアやチャリティー・福祉活動にも熱心で、障害者のために2千万ウォンを寄付するなど、暖かい人柄も彼の人気の一つである。俳優業の他にハワイのオアフ島にあるハワイアナホテルを過去に経営している(2009年末ごろまで)。芸能プロダクション代表も務める。

1997年 MBC演技大賞 男性新人賞
2002年 青龍映画賞人気スター賞
2002年 KBS 演芸街中継最高興行俳優賞
2005年 黄金撮影賞演技対象
2007年 第8回大韓民国映像大田フォトジェニック
2007年 韓国モデル像 CF部門モデルスター
2008年 MBC演技大賞 最優秀主演男優賞
2008年 MBC演技大賞 ベストカップル賞(チェ・ジンシル) -ラスト・スキャンダル-

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24時間テレビ 「愛は地球を救う」

『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』(にじゅうよじかんテレビ あいはちきゅうをすくう)とは、日本テレビ系列(NNN・NNS)と沖縄テレビ(フジテレビ系列)にて、1978年から毎年8月(1991年のみ7月)下旬の土曜日から日曜日にかけて生放送で実施されているチャリティー番組である。通称『24時間テレビ』、『24HTV』。英語表記は「24HOUR TELEVISION "LOVE SAVES THE EARTH"」(トゥエンティーフォー・アワー・テレビジョン ラブ・セーブス・ジ・アース)。

1978年、「愛は地球を救う」をキャッチフレーズとする各地のチャリティーキャンペーン活動を行う番組として誕生した。年末などを除き、通常の放送を休止し特番を終夜放送する事は、当時としては画期的な企画であり、福祉をテーマにしたことから実現可能であった。

番組のイメージカラーは黄色、番組のシンボルマークは赤・黄・緑の地球と軌道上を周回する月をデザインした物である。このシンボルマークは後述する番組オリジナルTシャツと同様に第15回(1992年)で番組をリニューアル以降、近年は放送でも使用される事が少なくなっている。

視聴者から寄せられた善意の浄財を、国内・外の福祉活動に役立てる事を目的とした番組であり、「本当の主役はあなたです」を謳い文句にしている。この文句は2000年代初頭までエンディングでクレジットされていたが、走り終えて疲労困憊のマラソンランナーが映っている所にクレジットされた事もあり、ランナーに対する侮辱と取られかねないため、現在は各回のテーマに則したメッセージがクレジットされている。
番組内容は、年間テーマに対する出演者の願いを語るコーナー・障害者によるチャレンジ・難病や戦災に立ち向かう人々の願いを伝えるコーナーが中心となっている。番組中では出演者が応援ソングを歌う場面があり、使用される楽曲は毎年30曲前後にも上る。

『鳥人間コンテスト選手権大会』(読売テレビ制作)・『全国高等学校クイズ選手権』と共に「日本テレビ系の夏の風物詩」となっており、その中でも最大規模で開催・放送されている。
毎年8月下旬の土曜日夜から翌日曜日夜まで生放送されている(夏休み最終週の土・日曜日に放送される年が多くなっている)。「24時間」テレビと銘打っているが、最近は土曜日18:30 - 日曜日20:54と実質上「約26時間半」の放送であり、24時間よりも2時間半程長い。

しかし、一部地域ではフジテレビ系列やテレビ朝日系列とのクロスネットの都合などで一部時間帯に別番組が放送されるため、短縮放送扱いとなっている(詳細は24時間テレビのクロスネット各局と各局別の編成を参照)。
現在、番組はハイビジョン制作・ステレオ放送で地上デジタル放送では番組連動データ放送も行われている。ただし、一部企画VTRや系列局の中継(エンディングの全国リレーなど)によっては4:3SDとなっている(その際両サイドにはオレンジの帯が付けられていたが、第30回(2007年)からは青の帯に変更した)。また、第31回(2008年8月31日の17 - 20時台のみ)と第32回(2009年8月30日の11:27頃〈一部のネット局は12:27から〉 - 20:57頃)は本編でもリアルタイム字幕放送を実施した。

一部の年を除き、日本武道館がメイン会場として使用されている。その他、日産グローバル本社ギャラリー(2008年までは銀座、2009年以降は横浜)や日本テレビ系列局独自の主催募金会場では、チャリティーオークションなどのイベントが行われている。ほとんどは日本テレビからの内容が放送されるが、時折、系列各局独自の内容も放送され、これを“ローカル差し替え”と呼んでいる。これは主に告知枠1 - 2分程度の場合が多いが、30 - 60分と長時間になる事もある(後述)。

また、差し替えた時間帯に本来放送されていた企画やコーナーが見られない事への意見・苦情に配慮して、差し替えローカル局のみで後日、そのコーナーのみ深夜帯で放送をした事例もある。さらに、エンディングの『サライ』のネットリレー(各局概ね8秒ずつ)で少しでも長く自局を露出させるため、地方局での放送において他地域の局の部分でも余分に自局映像に差し替えるという手法が、一部地方局で行われている。なお地方局での『サライ』の合唱は地上デジタル放送開始後、その放送に合わせて行っている局が多くなっているが、1 - 2秒のタイムラグがあるため、放送に乗る時は東京メイン会場と地方局の歌声・動作が同調していない。この問題を解消するには、アナログ放送(24時間テレビでは2010年が最後)の音声に合わせるか、テレビ局本社にメイン会場を設ける局では地デジ放送を経由しないNTT中継回線からの映像音声に合わせて合唱を行う事例があるが、一部の系列局では合唱せずに、各局出演者やボランティアたちがカメラに向かって手を振るなどの対応をとる場合がある。
メインパーソナリティーは、以前は若手女性タレントやSPEED、モーニング娘。などの女性グループが起用されていたが、第26回(2003年)以降はジャニーズ事務所所属のグループで固定されている。

かつては「チャリティーパレード」と称した出演者などによる番組のパレードが、主に日曜日午後にメイン会場周辺で放送中に行われていたが、道路占有による使用許可申請やパレードに伴う渋滞の発生など様々な問題により、後に行われなくなった。

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Google マップ(グーグルマップ、英: Google Maps)

Google マップ(グーグルマップ、英: Google Maps)は、検索エンジンのGoogleがインターネットを通して提供しているローカル(地域)検索サービス。

地図、航空写真、地形の3つの方式で、ズームを調節し、全世界を俯瞰することができる(航空写真については、地図情報を航空写真に重ね合わせた表示と、航空写真のみ表示とで2種の表示方法が用意されている)。アメリカ国内と(中国版のみ)中国のみ渋滞情報の表示ができ、またアメリカと一部のヨーロッパ地域、日本では経路検索もできる。アメリカや日本の主要都市などでは、道路からの風景を見ることもできる(→ストリートビュー)。なお、航空写真は機密施設がテロリストからの攻撃を守ることや防衛上の理由や当該国の要請から、該当部分を修正したり消したりして対処されている。

通常のGoogleはウェブページをロボットによりクローリングを行い、サイト単位でインデックスを行うが、Google マップは、実際の店舗単位でインデックスを行う。また、KML/KMZファイルのURLを検索することでプレイスマーク、パス、オーバーレイをGoogle マップで表示することが出来る。

Googleマップは単体での利用のほかに、公開されているAPIを利用することで、一般のホームページの中にGoogleマップによる地図を組み込むこともできる。なおAPIの利用は無料だが、Googleアカウントの他に事前に申請して発行されたAPIキーが必要。APIを利用した地図の表示回数については、現在は制限はないが、1日50万回以上のアクセスがある場合には事前に連絡することを推奨している[1](住所→緯度・経度への変換を行う「Geocoder」については、1日あたりの利用回数制限がある)。

ちなみにAPIを利用した地図の表示は原則として「エンドユーザーが無料で自由にアクセスできる」ページでの利用に限られており、有料コンテンツや企業の社内システムなどアクセス制限がかかったページでの利用には、別途有料の「Google Maps API Premier」[2]を利用するように同社では勧めている。

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麻雀(マージャン、麻将、Mahjong)

麻雀(マージャン、麻将、Mahjong)とは中国を起源とし、世界中で親しまれている4人用(原則)の牌を使ったテーブルゲームである。

一般に麻雀はギャンブル的な要素を持つ遊技と認識されており、大人に限らず未成年者がプレーする場合でも金品のやりとりを伴うことが多い。日本において賭博は原則は違法行為にあたり暴力団が絡むこともあって、これが麻雀に悪いイメージを与えている。なおギャンブルとしてではなく、純粋な競技としての麻雀を競技麻雀またはノーレート麻雀と呼ぶ。いっぽうで個人間での賭博が自由主義上で原則合法なアメリカなどの国では男性仲間同士でお互いの家でビールを飲みながらポーカーをするなど、庶民文化の一つであるだけでなく各自が同額の賭金を持ち込んで優勝者が最後に全参加者の賭け金を独り占めするトーナメント制の試合が堂々とテレビで放映されるなどギャンブルそのものに犯罪というイメージがほとんどない。

麻雀は零和ゲーム(全員の点数の合計が常に一定:ゼロサムゲーム)であるため点数のやりとりをそのまま掛け金のやりとりに換算しやすい。さらに思考ゲームであると同時に偶然の要素も強く、運・実力共に結果に反映されることからギャンブルとして馴染みやすい。

結果に従ってやりとりする金額は普通、ウマ等を考慮した得失点1000点につき何円という形でレートが設定される。1000点あたり10円なら「点1(テンイチ)」、50円なら「点5(テンゴ)」、100円なら「ピン」(または「テンピン」)、200円なら「リャンピン」、1000円なら「デカピン」と言われる。日本の法律および判例では金銭については額の多少に関わらず一時の娯楽に供するものとはみなされない(大審院大正13年2月9日、最判昭和23年10月7日など)ため、原理的にはこれらすべてのレートに対し賭博罪が成立する。ただ実際には、1000点あたり200円を超えるレート設定でない限り賭博罪による摘発が行われていないのが現状である。1000点あたり1000円を超えるような高レートの設定といった高額の金品等を賭けるケースは、人目を忍んでマンションの一室で催されるという意味でマンション麻雀などと呼ばれる。

その他のギャンブル(カジノなどで行われている多くのものや公営競技など)と異なる点として点棒の移動によって異なる負け金を勝負の後に出すことから控除率の計算が難しいが、ギャンブルとしては公営競技などと比しても破格の高さで特に1000点20円以下の低レートでは控除率が100%を超えることすらある。例として1000点20円、2の2-4のレートで場代が1人250円の場合で30000点丁度の一人浮きトップを取った場合を例に取ればトップ者の収入(=敗者の支出合計)は800円であるがこれに対しハウスが徴収するコミッション(控除額)は1000円となる。したがって、控除率は125%となる。

なお負けた者の支払いが本人によって行われない場合(たとえば大会においてスポンサーがあり、勝者に賞金を提供するなど)、または勝った者の利益が本人の手に渡らない場合は賭博罪には当たらない。
雀荘で見知らぬ客同士が卓を囲む場合は、レート設定で対立することのないように雀荘側で公式レートを定めていることが多い。この公式レートはウマとあわせて店外に掲示されているが、「風速」などと婉曲表現されていたりサイコロの目のイラストで示されていることが多い。例えば「風速0.5」とあれば、それは1000点で50円のレートであるという意味である。

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ゆうパック遅配問題 ついに、一般郵便にも遅れ!

タカノハダイ(神奈川県):2010/07/06(火) 10:06:14.05 ID:Er10Cz4R
 日本郵政グループの郵便事業会社(日本郵便)は5日、宅配便「ゆうパック」の遅配が
1日から5日までで累計約32万個に達したと発表した。総務省は遅配の経緯について報告を求めるとともに、業務改善命令など行政処分の検討に入った。

 また、東京都内の板橋支店で、一般郵便物の配達にも遅れが出ていたことも分かった。
参院選の選挙郵便で取扱数が急増している中、ゆうパックの遅れの取り戻しに社員が追われたため、郵便配達に支障を来した。

 日本郵便の鍋倉真一社長は4日の記者会見で、全国70カ所の集配拠点のうち、
混乱が生じたのは、ピーク時(2日)の10カ所から4日には「千葉県、大阪府、愛知県の
3カ所にまで減った」としていた。だが、5日になると新たに埼玉県の拠点で集配作業が遅れ、
千葉県、大阪府の拠点経由分と合わせ、約6万個の配達が指定時間に間に合わなかった。

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ポケットモンスター (POCKET MONSTERS)

ポケットモンスター (POCKET MONSTERS) は、株式会社ポケモン(発売当初は任天堂)から発売されているゲームソフトの名称であると同時に、同作品に登場する架空の生き物の総称であり、それらを題材にしたアニメを始めとするメディアミックス作品群を示す。

略称及び漢字圏以外での呼称は「ポケモン (Pokémon) 」。モンスターボールに入るとポケットに入るから、ポケモンという愛称が付けられている。

1996年2月27日にゲームボーイ用ソフト『ポケットモンスター 赤・緑』が発売された。この作品が小学生を中心に、口コミから火が点き大ヒットとなった。その後、他機種を含め続編や関連ゲーム、関連製品が数多く発売され、2010年現在で同タイトルを冠したソフトの売り上げは、全世界で1億9000万本以上(派生シリーズを含む数字。本シリーズのみの場合は14作で1億2600万本)となった[2][3]。これはゲームキャラクター毎のシリーズ別で比較した場合、世界第2位の数値となる(1位はマリオシリーズの2億4000万本以上)[4]。また、ゲームを含めた関連市場(いわゆるポケモン市場)は年間で全世界3兆円規模となっており(国内1兆円、海外2兆円)[2][3]、これほど巨大化したキャラクターフランチャイズは世界を見てもディズニー以外には例を見ない。

開発元はゲームフリーク、コンセプトメーカーにしてディレクターを務めたのは、同社代表取締役でもある田尻智(ポケットモンスター 。

1997年4月1日よりテレビ東京系列にてテレビアニメが放送開始、主人公サトシ及び、その仲間と彼らのポケモン達による冒険物語を描いた作品が大好評を博す(ポケットモンスター (アニメ)参照)。

多数登場するポケモンのキャラクター性も重要な要素の一つであり、中でもアニメの影響でピカチュウが様々な製品に取り上げられている。現在までに「発見」されているポケモンの数は513種となっている。デオキシスやミノムッチやアンノーンなど、細かく分けた場合は500匹を超える(ポケットモンスター (架空の生物)参照)。
また、ポケモンバトルの戦術性の高さを再現したトレーディングカードゲーム (TCG) 『ポケモンカード』シリーズも制作されており、TCGプレイヤー層も巻き込んでファンを広げた(ポケモンカードゲーム参照)。

一方、アニメコンテンツが充実した頃を境に、アメリカをはじめとする国々にも “Pokémon”の名称で商品展開を開始し、ゲーム・アニメともに好調な成績を収めている。メディアミックスや、国際的にも通用するキャラクターフランチャイズの成功例として、日本経済新聞や経済誌などで紹介される事も多い。日本経済新聞社主催の経済セミナーでは、ポケモンをテーマとした講演を開催することもある。世界に通用する国内コンテンツとして評価も非常に高い[5]。

なお、略称及び漢字圏以外での呼称である「ポケモン」は、ポケモン関係の商品を扱った事業を展開する会社名「株式会社ポケモン」にも使われている。

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