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<title>時事雑記ココログ０００１</title>
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<description>時事雑記</description>
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<item rdf:about="http://tosiyas.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/post-968f.html">
<title>白山スーパー林道（白山林道）（はくさんスーパーりんどう）</title>
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<description>白山スーパー林道（白山林道）（はくさんスーパーりんどう）は、石川県白山市（旧尾口...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;白山スーパー林道（白山林道）（はくさんスーパーりんどう）は、石川県白山市（旧尾口村）と岐阜県大野郡白川村を結ぶ、全長33.3キロメートルの有料道路である。森林開発公団（当時）が特定森林地域開発林道事業により開設したスーパー林道のひとつ。&lt;br /&gt;
1977年8月26日一般供用開始。国道360号の不通区間を結ぶ形となっており、石川県・岐阜県間を他県を通らずに通行できる唯一の車道である。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;利用案内 &lt;/p&gt;

&lt;p&gt;白山スーパー林道は、白山国立公園を通過するため、夜間は通行止めとなっている。また、11月10日（気象状況などにより毎年変動する可能性がある）から翌年6月上旬頃まで冬期閉鎖である[2]。&lt;br /&gt;
6月 - 8月（7:00 - 18:00）閉門 19:00&lt;br /&gt;
9月 - 11月（8:00 - 17:00）閉門 18:00&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;通行料金 &lt;/p&gt;

&lt;p&gt;2010年現在。ETCやクレジットカードでは精算できない（かつて道路関係四公団が発行していたハイウェイカードも利用できなかった）。また、石川県道路公社が運営している能登有料道路や能越自動車道（田鶴浜道路）で利用できるプリペイドカード「みちカード」も利用できない。&lt;br /&gt;
普通自動車 : 片道 3,150円 往復 4,890円&lt;br /&gt;
マイクロバス : 片道 9,370円 往復 14,670円&lt;br /&gt;
大型バス : 片道 21,000円 往復 32,620円&lt;br /&gt;
軽自動車 : 片道 2,540円 往復 4,070円&lt;br /&gt;
有料区間内ではUターンすることができる。この場合は片道料金となる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;通行規制 &lt;/p&gt;

&lt;p&gt;冬期通行止 11月10日（気象状況などにより毎年変動する可能性がある） - 6月上旬&lt;br /&gt;
時間雨量 25ミリメートル&lt;br /&gt;
24時間雨量 70ミリメートル&lt;br /&gt;
連続雨量 80ミリメートル&lt;br /&gt;
濃霧視界 20メートル以下&lt;br /&gt;
最大風速 15メートル毎秒&lt;br /&gt;
積雪・凍結時&lt;br /&gt;
時速20キロメートル毎時規制&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;^ 二輪車、原付、自転車は通年、通行禁止となっている。歩行者も通行禁止であるが、有料区間内で行われるウォーキングイベント開催時には、一部区間が歩行者天国となり、歩行者に限り開放される（このイベント時における石川県と岐阜県の通り抜けは不可能）。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;^ ただし、無料区間は時期と区間によっては通行可能である。白山市尾添の起点と中宮温泉のある白山市中宮温泉の区間（約4.4km）は、4月下旬頃から11月末頃まで通行可能。また、白山市尾添の起点から石川県白山自然保護センター ブナオ山観察舎の麓までの区間（約300m）は積雪期でも通行可能。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>



<dc:creator>やあっさん</dc:creator>
<dc:date>2010-07-10T21:10:24+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://tosiyas.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/post-d644.html">
<title>『踊る大捜査線』（おどるだいそうさせん）</title>
<link>http://tosiyas.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/post-d644.html</link>
<description>『踊る大捜査線』（おどるだいそうさせん）は、1997年1月 - 3月にフジテレビ...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;『踊る大捜査線』（おどるだいそうさせん）は、1997年1月 - 3月にフジテレビ系で放映された織田裕二主演の連続テレビドラマ。その後シリーズ化されテレビドラマ・映画・舞台で展開された。さらにその後も「踊るレジェンド」としてテレビドラマや映画のスピンオフ作品が作られている。&lt;br /&gt;
2008年3月31日、東京臨海副都心で東京湾岸警察署の開署式が行われ、それに合わせて映画版踊る大捜査線シリーズの続編製作が発表された。公開日は2010年7月3日。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;従来の刑事ドラマのように事件を追うだけでなく、警察の抱える様々な内部矛盾、特に警察組織の厳格なキャリア制度の問題も大きなテーマとなっている。また、警官のことを「刑事」または「デカ」ではなく「捜査員」と呼ぶことが多く、加害者のことを「犯人」または「ホシ」ではなく「被疑者」と呼ぶことが多いなどより現実に忠実な用語法や、「発砲許可」、「パトカー手続き」、「本庁接待」など、今までの刑事ドラマでは描かれてこなかった日常の側面の描写を重視している。これらの事を描くため報道部の事件記者をアシスタントプロデューサーとして招聘している。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;警察ドラマ &lt;br /&gt;
織田裕二演じる青島俊作巡査部長が主人公の「警察ドラマ」。銃撃戦や犯人逮捕までを追う従来の刑事ドラマとは異なり、警察機構を会社組織に置き換え、署内の権力争いや本店（＝警視庁）と支店（＝所轄署）の綱引きなど人間味あふれる警察官の姿を、湾岸署を中心に描いている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;青島刑事以外にも、恩田すみれ（深津絵里）・和久平八郎（いかりや長介）・真下正義（ユースケ・サンタマリア）などの湾岸署署員や事件の被害者でのちに刑事となる柏木雪乃（水野美紀）、また、湾岸署の署長ら三人組（通称『スリーアミーゴス』）、更には警察庁のキャリア・室井慎次（柳葉敏郎）らにもスポットライトが当てられる、いわゆる「群像劇」の要素が強いドラマであり、それが本作の魅力の一つになっている。&lt;br /&gt;
またドラマ内外の事項と連動する、いわゆる「ハイパーリンク」をふんだんに盛り込んで観客を何度も楽しませる手法を取り入れる一方、ストーカー・ドメスティックバイオレンス・少年犯罪問題・監視システムなど今日的社会問題を比較的早く物語に反映している。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;当初の踊る大ラブストーリー計画 &lt;br /&gt;
踊る大捜査線は、放送開始当初から高視聴率など期待されていなかった。しかし、製作者サイドはゴールデンドラマということもあり余りにも数字（視聴率）が悪ければストーリーの流れを変えるという枠組みを残しての脚本ということになった。大まかな設定は放送時と大差ないのだが、キャラ設定やストーリー設定に多少の柔軟性を残しながら描かれていった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;初期の構想段階では、和久の娘をすみれに設定し、その和久宅に居候する青島との恋愛も一案にあったそうである。その後は、青島と雪乃、室井とすみれの二本立てでの恋愛路線、また、青島と雪乃とすみれの三角関係も構想されている。実際、青島・雪乃間での恋愛に発展しそうな伏線や、すみれが青島に惹かれてゆく描写もちりばめられており、室井とすみれの二人きりのシーンも幾度かあった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;だが、この恋愛ドラマ路線は、第1話が放映され視聴率が出た時点で取りやめが決定された。脚本家・君塚良一が著書「テレビ大捜査線」で述べているところでは、同じクールでフジテレビが放映していた恋愛ドラマ（月曜9時枠「バージンロード」のこと）の視聴率が比較的よかったため、同じ恋愛ものをぶつけるのは足の引っ張り合いになりかねないという亀山プロデューサーの判断によるとのこと。このとき第4話までは脱稿していたので第5話からのプロットが恋愛の要素を排したものに変更され、以後は警察ドラマとしての視点に重点を置いていくこととなり、そこで雪乃の設定に大幅な変更が加えられている（血液型まで変更された）。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>



<dc:creator>やあっさん</dc:creator>
<dc:date>2010-07-10T21:07:08+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://tosiyas.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/the-japan-net-b.html">
<title>株式会社ジャパンネット銀行（英称：The Japan Net Bank, Limited.、呼称：「Japan Net Bank（ジャパンネットバンク）」、略称：JNB）</title>
<link>http://tosiyas.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/the-japan-net-b.html</link>
<description>株式会社ジャパンネット銀行（英称：The Japan Net Bank, Lim...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;株式会社ジャパンネット銀行（英称：The Japan Net Bank, Limited.、呼称：「Japan Net Bank（ジャパンネットバンク）」、略称：JNB）&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;2000年9月19日にさくら銀行（現・三井住友銀行）、住友銀行（現・三井住友銀行）[2]、富士通、日本生命保険、東京電力、三井物産、エヌ・ティ・ティ・ドコモ、NTT東日本の出資により設立。同年10月12日に開業。&lt;br /&gt;
第二次世界大戦後初めて日本の銀行法第四条による普通銀行免許を取得。「新たな形態の銀行」第一号とされる。&lt;br /&gt;
2006年3月30日、同行・三井住友銀行・ヤフー株式会社（Yahoo! JAPAN運営会社）の3社で提携の基本合意をし、6月29日に資本・業務提携を締結。同年9月29日には第三者割当増資を行い、普通株式を三井住友銀行（払込価額87億円）とヤフー株式会社（同45億1500万円）に対して、取得条項付無議決権株式をヤフー株式会社（同212億8500万円）に対して、それぞれ株式を割り当て、追加出資を受けた。これにより、ヤフーが三井住友銀行と同じ40%の出資をする筆頭株主となった（ただし、議決権ではヤフー10.4%、三井住友銀行59.7%）。提携の発表がなされた当初は、金融持株会社を三井住友銀行とヤフーで共同で設立し、その子会社とすることも検討されていたが、その後進展はなく、現在に至っている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;個人間および、個人と法人間のインターネットを利用したオークションやネットショッピングなどによる小額の決済業務、証券会社・商品先物取引会社・FX業者などの口座への入出金等の決済業務に特化している。例えば、Yahoo! オークションと提携し、落札後の決済を行なえるようにするなどである。他にも、投資信託の販売業務、カードローンなどの個人向け融資業務にも注力している。また、2008年6月19日にはtoto（サッカーくじ）の販売が開始された（イーバンク銀行(現：楽天銀行)に次いで2行目）。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ジャパンネット銀行の口座間の振込手数料は52円、他行宛振込手数料は3万円未満が168円、3万円以上が262円と、一般の銀行に比べ比較的低廉に設定されている。さらに、Yahoo!ネットバンキングによる振込手数料は無料である。なお、本店窓口での手数料は、ジャパンネット銀行内の口座宛振込手数料は3万円未満が630円、3万円以上が1,050円、他の金融機関宛振込手数料は3万円未満が1,260円、3万円以上が1,680円となる。割高である事や窓口が1店舗のみであることから、利用者は一部に限られると言える。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;預金取引などを扱う窓口のある支店店舗は一切なく、本店営業部のみとなる。支店そのものはワンタイム口座専用支店や各種サービス専用の支店、また一般口座として2009年9月17日開設（12月3日受付開始）の「すずめ支店」などがあるが、店舗所在地は本店営業部と同一である。現金の入出金は、三井住友銀行・アットバンク（福岡県内を除く。管理行が西日本シティ銀行のため。以下本項において同じ）・セブン銀行・イーネット・ゆうちょ銀行のATM網を利用して行うが、手数料が必要となる。ただし、取引条件によってはATM利用手数料が無料となる。詳細は後述。なお、セブン銀行・ゆうちょ銀行以外の提携ATMでは三井住友銀行のATMネットワークを経由しての利用となるため毎週日曜日21:00～翌月曜日7:00の間は利用できない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;取引状況はネットバンキング上で照会できるため、預金通帳はなく（月ごとの利用明細送付は有料で可能）。原則ネットバンキングによる取引となる（一部取引については本店窓口でも取り扱う。また窓口でしか出来ない処理もある）。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;当初の口座取扱店は本店営業部のみであったが、2006年10月26日、Yahoo!ネットバンキング開始に伴い、ワンタイム振込専用の支店が開設された。この支店名には星座名が採用された。他にも各種サービスのための専用支店が開設され、樹木や鳥類から支店名が採られている。一般口座も、2009年9月17日に新たにすずめ支店が開設（実際の稼働開始は、2009年12月3日以降受付分となった）され、それ以外にも鳥類から採った支店がいくつか準備されており、新規支店は今後も口座保有者の増加に伴い逐次開設される予定となっている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;口座数は日本初のネット銀行として当初はトップを保っていたが、2005年[3]にイーバンク銀行（現・楽天銀行）に追い越されている。&lt;br /&gt;
かつてはiモード対応携帯電話からJNB相互間の振込をする場合の振込手数料10円（1回あたり）を売りにしていたが、EZwebおよびJ-スカイ（旧ボーダフォンライブ!、現Yahoo!ケータイ）対応に伴い、2003年4月からはパソコンからと同額の52円に値上げした。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>日記・コラム・つぶやき</dc:subject>

<dc:creator>やあっさん</dc:creator>
<dc:date>2010-07-10T21:00:52+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://tosiyas.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/196926---a23e.html">
<title>福山 雅治（ふくやま まさはる、1969年2月6日 - ）</title>
<link>http://tosiyas.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/196926---a23e.html</link>
<description>福山 雅治（ふくやま まさはる、1969年2月6日 - ）は、日本のシンガーソン...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;福山 雅治（ふくやま まさはる、1969年2月6日 - ）は、日本のシンガーソングライター、俳優、ラジオDJ、ギタリスト、音楽プロデューサー、作詞家、作曲家、写真家。長崎県長崎市出身。長崎ふるさと大使。所属事務所はアミューズ。所属レコード会社はユニバーサルミュージック。公式ファンクラブの名称は“BROS．”。血液型 O型。身長180cm。体重71kg。靴のサイズ27.5cm。水瓶座、酉年。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;1969年 長崎県長崎市で誕生。&lt;br /&gt;
私立宝珠幼稚園、長崎市立稲佐小学校、長崎市立淵中学校、長崎県立長崎工業高等学校卒業。&lt;br /&gt;
1987年 高校卒業後、4か月間の地元でのサラリーマン生活を経て、18歳で少女隊のバックバンドを目指して上京する。当時は、昭島市緑町に在住し、福生の横田基地の近くにある材木屋でバイトをしていた。&lt;br /&gt;
当時の愛車は、いすゞ・ジェミニ。「アルバイト先の木材屋付近の交差点でドリフトに失敗し、縁石に激突。縁石には、まだ、当時の傷が残存する」と福山は述べている。&lt;br /&gt;
1988年 “アミューズ・10ムービーズオーディション”に合格し、映画『ほんの5g』で俳優 デビュー。8月15日、新宿のライブハウスで、東京での初ライブ。観客はゼロだった。&lt;br /&gt;
1990年 シングル『追憶の雨の中』で歌手デビュー。当時のキャッチフレーズは、“イナカモン、バイ。”。&lt;br /&gt;
1991年 TBS系ドラマ『あしたがあるから』でテレビドラマデビュー。&lt;br /&gt;
1992年 ニッポン放送系『福山雅治のオールナイトニッポン』スタート（現在は『福山雅治のオールナイトニッポンサタデースペシャル・魂のラジオ』）&lt;br /&gt;
1993年 フジテレビ系ドラマ『ひとつ屋根の下』で人気に火がつき、歌手としてもブレイク。&lt;br /&gt;
1993年 シングル『MELODY』でNHK『第44回NHK紅白歌合戦』出場、紅白初出場を果たす。&lt;br /&gt;
1995年 フジテレビ系ドラマ『いつかまた逢える』でドラマ初主演。&lt;br /&gt;
1996〜1997年 活動休止（しかし、俳優としては『ひとつ屋根の下2』に出演、ラジオも続けていた）。&lt;br /&gt;
2000年のシドニー五輪、2004年のアテネ五輪、2008年の北京五輪でテレビ朝日のオフィシャルカメラマンとして活躍。&lt;br /&gt;
2008年 出身地・長崎県長崎市の魅力を内外に発信する「長崎ふるさと大使」に就任。&lt;br /&gt;
2008年 『容疑者Xの献身』を全国ロードショーする前の10月1日に、長崎市のTOHOシネマズ長崎で柴咲コウと一緒に全スクリーンを使い、先行上映会と舞台挨拶を実施。&lt;br /&gt;
2009年 『第60回NHK紅白歌合戦』に16年ぶり2回目の出場。『はつ恋』を長崎市のグラバー園で歌う。&lt;br /&gt;
2010年1月〜11月に放送されるNHK大河ドラマ『龍馬伝』にて主役・坂本龍馬を演じている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;出生時の体重は4000g強の巨大児であった。&lt;br /&gt;
幼稚園の頃は、女の子に声をかけられただけで泣き出すほど内気だった。&lt;br /&gt;
小学生の頃、空手を習っていたため腕っ節が強く、友達と一緒になって他のクラスの子と喧嘩したり、授業中に友達と2人で失踪するなどして、よく先生に叱られていた。4年生の頃、地元のソフトボールチームに入団。エースピッチャーとして活躍するが、右肩を故障してしまう。家計が苦しかったため、5,6年生の頃からアルバイト（新聞配達）をしていた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;小学6年生のころ、水泳教室に通っていた。しかし、やる気がなくてすぐやめてしまった。&lt;br /&gt;
子供の頃は今のようなシンガーソングライターとしての成功は無理だと思い、音楽の教師になりたかったらしいが家庭の状況（金銭面）から断念した[2]。&lt;br /&gt;
父親が被爆者なので「自身は被爆二世である」と発言したことがある。2009年8月9日の『福山雅治のSUZUKI TALKING F.M.』ではその日が長崎原爆の日であることからこの事に触れ、「父親はもろに被爆した。母親も厳密に言えば被爆していることになり、僕は被爆2世ということになる」と語っている[3]。&lt;br /&gt;
中学生の頃、サッカー部に入部しようと思っていたが、兄から吹奏楽部に誘われ入部。ホルンを担当し、部長も務めた。&lt;br /&gt;
兄の影響でギターを弾き始め、2年生の頃、友人とバンドを結成。卒業式前日に、学校の体育館にて最初で最後のライブを行う。&lt;br /&gt;
それとは別に、兄ともバンド“LAR”を組んで、THE MODS、A.R.B.などのコピーをしていた（兄はドラム、福山はギター）。当時、高校に進学する気はなく、卒業したら東京に行くつもりであったが、周囲がみんな高校に進学をするということに気がつき、長崎工業高校に進学する。ちなみに高校のときは茶道部に所属していた。入った理由は『お菓子が食べられるから』。[4]。&lt;br /&gt;
近くの女子校でファンクラブが作られるほど人気があり、バスで学校に通っていたため“バス停の君”と呼ばれていたという。&lt;br /&gt;
浜田省吾、サンハウス、THE MODS、A.R.B.、SION、ブルース・スプリングスティーン らの影響を受けた。デビューアルバム『伝言』は、福山本人の希望もあって、A.R.B.のギタリスト白浜久のバックアップを得て制作されている。また、SIONに関しては、「SORRY BABY」をカバーしたり、シングル『たまには自分を褒めてやろう』で共演するなどしている。&lt;br /&gt;
学生時代からラジオを愛聴していた。『プレゼントアワー』という、長崎のローカルAM放送局NBCラジオが日曜深夜に放送していた番組のリスナーだった。在学校名や実名をあげて個人の情報を依頼・提供し合うというコーナーがあり、自分の名前があがらないかと毎週楽しみに聴いていたが、結局高校を卒業するまで名前が読み上げられることはなかった。&lt;br /&gt;
高校卒業後、父親が他界しており、兄も自衛隊に入隊していたため、母親を長崎にひとり残して東京に行くことができず、長崎で就職する。自宅から徒歩5分で、学科試験がないという理由で、電機会社（システック井上）の営業職に就くが、仕事に身が入らず、営業で会社を出ると、海岸に車をとめて毎日文化放送の『吉田照美のやる気MANMAN!』を聴いていたという。&lt;br /&gt;
就職して数ヶ月後、音楽への未練が断ち切れず1987年8月31日付けで会社を辞めて上京することを決意。初任給で購入した400ccのバイクを売却し、20万円を手にする。&lt;br /&gt;
会社を辞めた日、母親に、会社を辞めて東京に行くことを伝えると、あっさり承諾された（実は、母親は福山が辞表を書いていたことを知っていたため、あっさり承諾したのだという）。&lt;br /&gt;
1987年9月の夕方、上京する時に会社の先輩、高校時代の同級生、当時の彼女が長崎駅に見送りにやってきた。上京する本当の目的を周囲の人間に恥ずかしくて言えなかったので、古着屋になると言って出て来たという。長崎駅から寝台に乗って上京。当時、福山は20万円で半年間生活出来ると思っていたらしい。&lt;br /&gt;
（高校の3年間同じクラスだった）同級生が先に上京していたため、上京の一週間前に連絡を入れ、同級生の家に居候させてもらう。ピザ屋の配達、日雇いの運送屋のアルバイトを経て、近所の材木屋に勤め、ようやく生活が落ち着く。&lt;br /&gt;
1987年秋、その当時、たまたま見ていたテレビ番組『美少女学園』の中で、“アミューズ10ムービーズオーディション”の告知を見て、俳優志望ではないのにもかかわらず、オーディションを受けることを決意、居候先の同級生に写真を撮ってもらい応募する。電話もなかったので、アミューズからの連絡はすべて、大家さんを通して郵便物がくるようになっていたという。&lt;br /&gt;
オーディションの面接で、特技を聞かれた際、「材木担ぎ」と答え、泉谷しげるの「春夏秋冬」をギターの弾き語りで披露する。最終選考の詳細を告げる連絡がなかなか来なかったため、落選したと思い、落ち込んだ福山は最終選考のある日、気分転換に車でドライブへ出かけるが、16号線のど真ん中で車のマフラーが落ちてしまい、家へ引き返す。自宅前でマフラーを取り付けているときにアミューズから「至急連絡されたし」の電報が届き、急いでオーディション会場へ向かい「春夏秋冬」を弾き語りし、見事合格する。&lt;br /&gt;
オーディション合格後、養成契約期間ということで一年間に3万円という給料を提示される。都心に引っ越さなければならなかったため材木屋のアルバイトを辞める。この材木屋は強く思い出に残っているようで、現在でもラジオで話すことがある。&lt;br /&gt;
上京当時のバイト先のとあるバーでゴミ出しの際に発見した泥酔状態の女性を、自宅へ拾って帰ったことがある。しかし、後に「まあ、嘘ですけどね」と冗談を言っている。&lt;br /&gt;
AVは買わなくてもインターネットでサンプル動画を観るだけで十分だという。最近ほとんど観ていないそうだが、AV女優のRioが好み。魂のラジオにて、リスナーから「Rioの握手会に参加した際、福山さんがあなたのことをよくラジオで話しているので来ました、と言ったら、すごく喜んでいました」というメールを受け取り、「気が利く！でかした！」と大喜びした。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;端整なルックスから女性に圧倒的な人気を誇る。女性の好きな有名人アンケートにおいて必ずといっていいほど上位にランクされている。また、an・anの好きな男ランキングにおいては2008年の時点で10年連続2位を獲得しており（ちなみに1位は木村拓哉）、毎年自身のラジオ番組でも取り上げている。下着メーカー「トリンプ・インターナショナル・ジャパン株式会社」が2005年に行った「ホワイトデーに関するアンケート」で「ホワイトデーに下着を贈られたい男性有名人は?」という質問で第1位、また「自分の下着を一緒に買いに行きたい男性有名人は?」という質問で第3位に選ばれた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;島田紳助は「日本の女性は福山雅治に支配されている」と評している。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;大のバイク好きとして知られ、『福山エンヂニヤリング』の番組内でホンダ・ドリームCB400FOURを購入し、テリー伊藤や伊藤英明と一緒にツーリングに行くなどしており、バイクチーム“有楽町crazy horse”を私設している。&lt;br /&gt;
2010年に放送される大河ドラマ『龍馬伝』において主役・坂本龍馬を演じる為の役作りのため、髪を伸ばしたり日焼けで肌を黒くしたりしている。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>日記・コラム・つぶやき</dc:subject>

<dc:creator>やあっさん</dc:creator>
<dc:date>2010-07-10T20:54:23+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://tosiyas.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/post-5df9.html">
<title>『めちゃ²イケてるッ!』（めちゃめちゃいけてるっ!）</title>
<link>http://tosiyas.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/post-5df9.html</link>
<description>『めちゃ²イケてるッ!』（めちゃめちゃいけてるっ!）は、1996年10月19日か...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;『めちゃ²イケてるッ!』（めちゃめちゃいけてるっ!）は、1996年10月19日からフジテレビ制作・FNS系列で、毎週土曜日の19:57 - 20:54（JST）に放送されているバラエティ番組である（一部系列局を除く）。字幕放送（2008年2月23日 - ）、ハイビジョン制作。正式タイトルは『めちゃ²イケてるッ! -What A COOL（稲妻マーク）we are!-』（ - ホワット・ア・クール・ウィー・アー）。通称「めちゃイケ」。ほとんどの新聞のラテ欄では、「めちゃ×2イケてる」若しくは「めちゃ×2イケてるッ!」と表記される。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;2010年&lt;br /&gt;
1月9日、新春スペシャル（副題「テレビの力は超無限大 お年玉自腹SP!!」）で「紅白歌へた合戦スペシャル」の優勝チーム合計100万円を自腹し、キーワードクイズ「むげんだいのげいにんはエド」を当てた視聴者の皆様にプレゼントした。視聴率は13.2%→19.6%と高視聴率だった。&lt;br /&gt;
2月27日、岡村涙の苦情ゼロSPを放送。本番組への批判・苦情に対して、真っ向から挑む内容であった。詳細は岡村涙の苦情ゼロSPを参照。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;4月10日、この年の春スペシャルでは4年ぶりに濱口だましを中心に放送。濱口が出演しているテレビ東京のオーディション番組「イツザイS」の全面協力の下に出演者及びインディース芸人にスタッフまで参加し実施した。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;放送開始以来、横並びではほぼ独走状態であり、安定して15%以上の視聴率を記録し20%以上も珍しくなかった。同時期のバラエティ番組では『とんねるずのみなさんのおかげでした』『関口宏の東京フレンドパークII』などと並び、長期にわたり高視聴率を獲得した番組である。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;しかし2004年に開始した『世界一受けたい授業』（日本テレビ系列）が徐々に人気を集め、2006年頃からめちゃイケを上回ることも珍しくなくなった。さらに2008年にはTBSが土8ドラマをスタートさせ『ROOKIES』の人気でめちゃイケの視聴率が振るわなくなり、『ROOKIES』終了後も後続の『恋空』以降の作品が低迷しているにも関わらず回復しないまま、2010年3月では前番組の『爆笑レッドカーペット』の若手の勢いと、若手から中堅になったレギュラー陣の出演料の高騰化に押され始め、レッドカーペットの2時間スペシャルが度々組まれ、休止されることが多くなる。2009年度になってからは『矢部オファーシリーズ』『フジテレビ警察』等年次企画も放送されなくなった。現在も同時間帯の視聴率トップの座を『世界一受けたい授業』に明け渡す状況が続いているが、視聴率2位は概ね維持している。しかし一方で、2009年5月23日は裏番組に木村拓哉主演の『MR.BRAIN』が放送され、15分拡大で放送したが、『MR.BRAIN』が24%を超える高視聴率を記録したのに対し、こちらは13.6%で、同時間帯2位とかなりの健闘を見せた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;高視聴率番組として知られている半面、裏番組で「子供に見せたい番組」の上位に入ることが多い『世界一受けたい授業』とは対照的に、「子供に見せたくない番組」の上位に入ることが多いため、いわゆる低俗番組としても知られている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;2007年9月22日放送の『週刊フジテレビ批評』にて2007年8月25日放送分の番組が番組審議される様子が放送され、「出っ歯企画はよくない」、「いじめを助長する」、「仕込みが多すぎる」といった意見があり、自身も出演したことのある港浩一も「いじめを助長する」件について少し言及した。また、BPOでも審議の対象となることが多く[10][11][12][13]、いわゆる「罰ゲーム」などの暴力表現について指摘を受けることが多い。これに対して岡村は、2007年10月25日の『ナインティナインのオールナイトニッポン』において、「罰ゲームがいじめを助長するということは一切ない。学校でいじめを受けて笑顔のない子でも、バラエティ番組の前だけでは笑ってくれるというのが理想。バラエティ番組を規制するよりも、インターネット上の暴力表現や性描写を規制すべきでは」と、BPOの見解に対して痛烈な批判を行った。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;また、『ナインティナインのオールナイトニッポン』において、リスナーから『「子供に見せたくない番組」のアンケートは、すでに複数の番組名が書かれたなかから選択できるようになっている』という情報がよせられ、このことに対しても岡村は激怒し批判を行った。&lt;br /&gt;
フジテレビ公式サイト内に番組紹介ページと番組公式サイトの2つあるが、2007年秋頃になって、前述の週刊フジテレビ批評で批判されたために公式サイトのほうのみ一時期緊急閉鎖されたことがあった。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>日記・コラム・つぶやき</dc:subject>

<dc:creator>やあっさん</dc:creator>
<dc:date>2010-07-10T20:48:17+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://tosiyas.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/post-1c3a.html">
<title>食べ放題（たべほうだい）を上海で！</title>
<link>http://tosiyas.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/post-1c3a.html</link>
<description>レストラン、焼肉、かに、しゃぶしゃぶ、寿司、中華料理、ジンギスカンなどの飲食業に...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;レストラン、焼肉、かに、しゃぶしゃぶ、寿司、中華料理、ジンギスカンなどの飲食業にて、一定料金で指定された範囲から好きなものを好きなだけ食べる事が可能な食事のシステム[1]である。時間制限が存在しない店と、回転率の向上のために1時間～2時間程度に制限する店がある。近年は、本格的フランス・イタリア料理や各国の本格的な料理を手頃な価格で楽しめる為、高級ホテルの集客の目玉として積極的に取り入れられている。朝食メニューのシステムとして用いられるケース、ケーキなどを中心としたデザートバイキングや、野菜類のみ食べ放題のサラダバーを行っているケースなどをもある。作り置きの料理や食材を適量に取り分けて食べる「ビュッフェ形式（セルフサービス形式）」と、メニューの注文を受けた後にその都度調理を行い、出来立ての料理が出てくるシステムの「注文形式」がある。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;他に食べ放題の形式を利用する業種としては、ビジネスホテルや温泉ホテルの朝食がビュッフェ形式で実施される事が多い。これはコスト管理の一環である。居酒屋にて注文形式で実施しているケースもある。一部の地域では食育の一環として、特定日の学校給食をビュッフェ形式で供食することもある。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;日本での呼び方には「食べ放題」の他に「バイキング」、「ビュッフェ」（仏：buffet）、「ブッフェ」、「ビュフェ」、「バフェ」、「バッフェ」などがあり、これらは通常「セルフ方式で食べ放題」の意味で使われる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;欧州の一部や北欧などでは「スモーガスボード (smorgasbord)」（語源はスウェーデン語の「パンとバター」または「オープンサンドイッチ」(smorgas) と「テーブル」(bord) の合成語）という用語が用いられている。&lt;br /&gt;
英語では「All You Can Eat」（文字通り「食べ放題」の意味）あるいはフランス語同様に「buffet」と呼ばれ、発音は「バフェ」に近い。ただ、日本では簡易な供食設備を備えた鉄道車両を「ビュフェ」と呼んできた（新幹線にはかつて「食堂車」と「ビュフェ」の両方を連結した列車もあった）歴史があるために、食べ放題形式を指してこの種の用語が使われるようになったのは比較的最近のことである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;27年間の米軍統治が行われた沖縄県では、戦後早い時期から正しい英語に接する機会を得た事によって「バフェ」という呼称が定着していたが、沖縄県外からの観光客が増加した21世紀初頭では「バイキング」という表記を用いる店も増加してきている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;また、業態別では焼肉、かに、しゃぶしゃぶ、寿司、ジンギスカンなどの飲食業では「食べ放題」、「バイキング」の名称を主に利用しており、「ビュッフェ」の名称はホテル等のレストランなどオードブルやデザートを含む多種類の西洋料理を提供する店舗に限って使用される傾向が強い。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;食べ放題＝元を取る、と言うスタンスで利用するのでは無く、自分のお腹の具合に合わせて、適量な1人分の分量に取り分けて食べるのが本来の利用方法である。食べられるかどうかも分からないで余分に2、3人分を皿に盛り、残すのはマナーに反する行為となる（一部の店ではルールにて大量の食べ残しがある場合、料金追加のケースがある）。また、あくまで店内のみでのサービス形式であるので、勝手に持ち帰る行為などは禁止である。グループ・家族連れで料理を回して食べ、大声で騒ぐ行為などで利用すると、特に日本以外のレストランでは注意を受ける原因にもなる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;他にも、一旦使用した皿などの食器を再度使って、食材を再び取るのは衛生上の問題から、マナーに反する行為とされ、食材を取る時には必ず新しい皿を使用する必要がある。逆に、お店が皿を洗う枚数が減るから、皿は再使用した方が良いのではないかと誤解している人もいるので、大変留意すべき事の一つである（但し、一部の店ではルールにて皿などの食器について使用制限を加えている場合もあるので、その点には注意する必要がある）。&lt;br /&gt;
なお、スウェーデンのスモーガスボードの食べ方としては、一皿には一度に多くを盛らず、食器の再使用は行わずに、使った皿の数が多ければ多いほどマナーが良いとされている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>日記・コラム・つぶやき</dc:subject>

<dc:creator>やあっさん</dc:creator>
<dc:date>2010-07-10T20:35:00+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://tosiyas.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/post-0d8b.html">
<title>ホタルノヒカリ (漫画)を思い出す？</title>
<link>http://tosiyas.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/post-0d8b.html</link>
<description>『ホタルノヒカリ』は、ひうらさとるによる日本の漫画作品、およびそれを原作とした連...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;『ホタルノヒカリ』は、ひうらさとるによる日本の漫画作品、およびそれを原作とした連続テレビドラマ。女性漫画雑誌『Kiss』（講談社）にて、2004年から2009年まで連載された。単行本は全15巻。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;20代の人生を恋愛を半ば放棄してぐうたらに過ごす、作中では干物女と呼ばれている主人公の恋愛を描く。主人公の性格・生活スタイルなどに共感出来る部分がある女性達の間に、高い人気を誇っている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;あらすじ &lt;/p&gt;

&lt;p&gt;SWビルドのインテリア事業部に勤めるOL・雨宮蛍は、会社では有能な仕事ぶりを見せるまともなOLだが、恋愛には無関心で、家でゴロゴロとしているのが大好きな干物女だった。しかし、ある日、部長の高野誠一が引っ越して来て、不本意ながらも同居する破目になる。&lt;br /&gt;
一方で、ロンドン研修に行っていた、新進気鋭のインテリアデザイナー・手嶋マコトが帰国、彼に次第に惹かれて5年ぶりに恋愛を始める事になる。&lt;br /&gt;
久しぶりの恋愛に戸惑う蛍の恋は、果たして上手くいくのか?&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;テレビドラマ &lt;/p&gt;

&lt;p&gt;放送時間	水曜22:00-22:54（54分）&lt;br /&gt;
放送期間	2007年7月11日 - 9月12日（10回）&lt;br /&gt;
放送国	 日本&lt;br /&gt;
制作局	日本テレビ&lt;br /&gt;
演出	吉野洋&lt;br /&gt;
南雲聖一&lt;br /&gt;
茂山佳則&lt;br /&gt;
久保田充&lt;br /&gt;
脚本	水橋文美江&lt;br /&gt;
山岡真介&lt;br /&gt;
プロデューサー	櫨山裕子&lt;br /&gt;
三上絵里子&lt;br /&gt;
内山雅博&lt;br /&gt;
出演者	綾瀬はるか&lt;br /&gt;
国仲涼子&lt;br /&gt;
加藤和樹&lt;br /&gt;
武田真治&lt;br /&gt;
板谷由夏&lt;br /&gt;
安田顕&lt;br /&gt;
藤木直人 ほか&lt;br /&gt;
音声	ステレオ放送&lt;br /&gt;
エンディング	aiko「横顔」（ポニーキャニオン）&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;特記事項：&lt;br /&gt;
初回：10分拡大（22:00 - 23:04）&lt;br /&gt;
最終回：15分拡大（22:00 - 23:09）&lt;br /&gt;
ドラマ&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;Portal: テレビ&lt;br /&gt;
Portal: ラジオ&lt;br /&gt;
Portal: ドラマ&lt;br /&gt;
一覧項目&lt;br /&gt;
テレビドラマ一覧&lt;br /&gt;
日本のテレビドラマ&lt;br /&gt;
中国のテレビドラマ&lt;br /&gt;
アメリカのテレビドラマ&lt;br /&gt;
カテゴリ&lt;br /&gt;
テレビドラマ&lt;br /&gt;
ラジオドラマ&lt;br /&gt;
 表・話・編・歴 &lt;br /&gt;
概要 &lt;br /&gt;
2007年7月11日から同年9月12日まで、日本テレビ系列で毎週水曜日22:00 - 22:54（JST）に全十夜放送された連続ドラマ。初回は10分拡大、最終回は15分拡大枠で放送。&lt;br /&gt;
主人公の雨宮蛍を演じた綾瀬はるかにとって、本作が初となる単独での連続ドラマ主演作である。また手嶋マコト役の加藤和樹は、プライムタイムでの全国ネットの連続ドラマ初レギュラー出演となる。&lt;br /&gt;
外では頑張る社会人、家では干物女・蛍の恋愛を描く。キャッチコピーは「オフタイムには頑張りたくない。恋愛するより家で寝てたい。そんな、干物女が恋をした!」。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;本放送から1年2ヶ月後の2008年11月21日に6枚組のDVD-BOXが発売された。SPECIAL DISCには、メイキングムービー、スピンオフドラマ『メンズホタルノヒカリ』、PRスポット集を収録。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;2010年1月19日の20時から毎週BS日テレにて再放送された。第一夜では、二ツ木の登場シーンがほぼ全て削除されているなど、拡大放送の第一夜と最終夜のみオリジナル版とは異なる「再編集版」であった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;公式ホームページでは、『anego』、『ハケンの品格』の日テレがお贈りするはたらく女子のリアルストーリー第3弾!と謳っている。またスタッフの一部はこれら2作品のプロデューサー、演出陣で構成されており、安田顕が『ハケンの品格』では役名が一ツ木だったのに対し、このドラマでは二ツ木であるといった、スタッフとの繋がりを見せた捩りがある。スピンオフドラマ『メンズホタルノヒカリ』第6夜において安田が一ツ木慎也としても出演している。二ツ木の名である「昭司」も、『ハケンの品格』の登場人物である「東海林」にかけていると、安田自身が番組宣伝の中で告白している。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>日記・コラム・つぶやき</dc:subject>

<dc:creator>やあっさん</dc:creator>
<dc:date>2010-07-10T20:23:20+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://tosiyas.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/post-2116.html">
<title>アイドル</title>
<link>http://tosiyas.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/post-2116.html</link>
<description>元来偶像を表す「idol」[1]の 意味が発展・変化し「若い人気者」としての意味...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;元来偶像を表す「idol」[1]の 意味が発展・変化し「若い人気者」としての意味が成立したのは、アメリカで1927年に「マイ・ブルーヘブン」をヒットさせた歌手のルディ・ヴァリーが先駆けとされ、1940年代に「女学生のアイドル（bobby-soxer&#39;s idol）」と呼ばれ、熱狂的な人気で社会現象まで引き起こしたフランク・シナトラによって完全に確立した。この流れの中で1950年代のエルヴィス・プレスリーも、1960年代のビートルズもデビュー時はアイドルとして認知されていた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;この経過から日本においては、主に外国の芸能人について使われる言葉であり、人気若手芸能人は一般的に「スター」、映画時代に一世を風靡した吉永小百合、浜田光夫などは特に「青春スター」と呼ばれていた（映画の中のみでなら、1938年の松竹映画「愛染かつら」で使用された例がある）。 しかし1966年に人気絶頂のビートルズの来日公演が実現し、これをきっかけとしてザ・タイガース、ザ・テンプターズ等のグループ・サウンズブームが巻き起こって行く過程で、徐々に青春スターの呼称は廃れ、アイドルの呼称に取って代わられていった(※ノート参照)。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;さらに1969年のグループ・サウンズの衰退を受けて登場した1970年代のアイドルの時代に至って、未成熟な可愛らしさや親しみやすさに愛着を示す日本的美意識を取り入れながら独自のアイドル像を創りあげ、1980年代には市民権を得た[2]。 戦後から昭和の末期までは、「ブロマイド」の売上実績がすなわちスターやアイドルの人気のバロメータになっていた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;現在アイドルという言葉は、あるコミュニティにおいて人気のある者を指す言葉として用いられる場合がある。名詞的に「学校のアイドル」、「職場のアイドル」などと呼ばれるもの、また同様の形容詞的表現として「アイドル的人気のある人」、「○○ではアイドル並み」といった範囲限定使用がそれである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;1970年代から1980年代の日本では、若年層に向けた歌謡曲を歌う清純派歌手（アイドル歌手）のことを「アイドル」と呼ぶことが多かった。現代的なアイドルを生み出す原動力となったのが、1970年代のオーディション番組スター誕生!である。スター誕生!からは1970年代にピンク・レディーや山口百恵などの1970年代の大スターを輩出し、1980年代前半のアイドルブームの下地となった。1980年代に入り松田聖子、河合奈保子、中森明菜、小泉今日子、たのきんトリオなどのアイドル歌謡曲をメインとするアイドルが活躍を始め、アイドルブーム が日本に沸き起こったのである。当時のアイドルの目標の一つが怪物音楽番組ザ・ベストテンへの出場であった。しかし1980年代後半頃からの第二次バンドブームの影響もあり、アイドル歌謡が中心であったアイドルブームは衰退した。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;現在（1990年代半ば以降）では、女性アイドルの分類が細分化されており、アイドル歌手だけではなく、映画やドラマなどで女優活動に重点を置く「アイドル女優」、アニメやゲームなどの声優活動に重点を置く「アイドル声優」、男性誌グラビアで水着姿などを披露する活動が中心の「グラビアアイドル」、CM活動で人気を得る「CMアイドル」、バラエティ番組への出演を活動のメインとする「バラエティアイドル」などジャンルも多様化し、これらを総合的に「アイドル」と呼ぶのが一般的である。アイドル歌手以外のアイドルをアイドルとみなさない考えであっても、伝統的な清純性をセールスポイントとしているグラビアアイドルはアイドルと呼ばれる。ソロが中心であった女性アイドルは近年はグループ化が進んでいる。男性アイドルにおいてはより早くからグループ化が進んでおり、グループからのソロ活動を除く男性ソロアイドルはほとんど存在しない。 欧米においてはフランス語の発音がアイドル調の楽曲に合致することなどから、フランスで女性アイドル歌謡が盛んである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;1980年代末には「国民的アイドル」という呼称（概念）も登場した。「国民的アイドル」という言葉は、「国民的美少女」（後藤久美子のキャッチコピー）及び「全日本国民的美少女コンテスト」（国民的美少女コンテスト）から派生したものと思われる。同コンテストは、歌手というより女優（あるいはモデル）を発掘するという意味合いが強いと見られ、アイドル＝歌手という図式の崩壊・変容に一役買った面がある。その条件として、まず一部の者や限定的な嗜好者のみにしか知られていないアイドルではなく、年齢層も子供から高齢者まで幅広く認知がなければならない。さらに、人気が長い間高いこと。芸能界では一般的に視聴率が取れる人物（グループ）を指す。また、高視聴率のメイン番組を持っていることなどが挙げられる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;アイドルのレコード（20世紀末からはCD）などを熱心に購入するだけではなく、コンサートやイベントに参加する者も多い。芸能プロダクションなどが運営するファンクラブに所属する者も多い。&lt;br /&gt;
ファンがアイドルに向けた熱意が高じた結果、芸能プロダクションなどの公式ファンクラブとは別に、1970年代半ばにはファン側が主体の全国規模のファン組織が登場する。キャンディーズのファン組織「全国キャンディーズ連盟（全キャン連）」が、その初めての例と言われる。これが俗に言う「アイドル親衛隊」の始まりであり、後に親衛隊連合、親衛隊同盟という二大勢力に発展していく。また「追っかけ」や「カメラ小僧」という行為（ファン像）も生まれてきた。&lt;br /&gt;
1990年代以降は、価値観の変化や娯楽の多様化などから若年層のアイドル離れが進み、かつてのアイドル全盛期の頃に比べファンの数が減ってきている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ファンの多くは内心は熱狂的だが、表面的には密やかな態度であると見る向きもある。その一方、アイドルへの思いが高じたあげく、アイドルを傷つける行為に走る例も見られる。古くは美空ひばりやこまどり姉妹がファンから硫酸をかけられた事件が挙げられる。1980年代にも松田聖子がコンサート中にステージ上でファンに殴られた事件、倉沢淳美がサイン会でファンから腕を切り付けられた事件、西村知美が姉を拉致された事件などが発生している。2000年代に入ってからも2008年に水樹奈々に対する殺人予告がネット上で書き込まれたり、2009年にはAKB48のメンバーの転居届を勝手に出したファンが逮捕されたり、声優の池澤春菜がファンのストーカー行為（未遂）の被害を受けたりしており、業界は日々の対策に追われている。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>日記・コラム・つぶやき</dc:subject>

<dc:creator>やあっさん</dc:creator>
<dc:date>2010-07-09T16:14:06+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://tosiyas.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/weathernews-inc.html">
<title>株式会社ウェザーニューズ（英: WEATHERNEWS INC.）</title>
<link>http://tosiyas.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/weathernews-inc.html</link>
<description>アメリカに本社のあった海洋気象調査会社・オーシャンルーツの日本法人の代表取締役社...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;アメリカに本社のあった海洋気象調査会社・オーシャンルーツの日本法人の代表取締役社長だった石橋博良が金融機関の協力を得た上で、同社の陸上・航空部門を1億8,000万円で買い取るという、当時としては非常に珍しいMBO（マネジメント・バイ・アウト）方式[1]で1986年に設立（設立当時の従業員数は約40人だった[出典 2]）。日本における民間総合気象情報サービスの草分け的企業であるとともに、1993年には親会社のオーシャンルーツを吸収合併し、世界最大の民間気象情報会社となっている[出典 3]。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;コーポレートキャッチフレーズは「Always WITH you!」（どんなときでもあなたとともに!）。&lt;br /&gt;
元々ウェザーニュースという社名で設立された後、ウェザーニューズへ社名変更している。かつて、同社の子会社にウェザーニュースという会社があったこともあり[2]、「ウェザーニュース」と「ウェザーニューズ」は混同されやすいが、「ウェザーニュース」の名称は、同社のインターネットの気象総合サイト、携帯電話向けサイト、BSデジタル放送・ケーブルテレビ向け放送の名称となっていて、社名の「ウェザーニューズ」とは使い分けがされている。また、略称の「WNI」のIをインターナショナル (international) の略だと混同する人も少なくない（正しくは株式会社 (incorporated) の略）。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;企業や自治体に気象情報を提供するだけでなく、子会社のダブリュエックス二十四を通して、BSデジタル放送[3]において天気予報の放送を、ケーブルテレビには地元向けの天気予報を提供している。&lt;br /&gt;
1992年には地上波のテレビ神奈川でも「花モクはリクエスト天気」（21:30 - 55）という番組を持っていた。文字通り視聴者からの特定の場所についての天気のリクエストを行っていたが、当時はまだ予報が自由化されておらず、詳細が言えなかった。番組終盤では、気象庁予報に基づく通常の天気予報も放送していた。なお、「花モク～」放送の木曜日以外は、「TVKニュース」が21:50から10分の枠を持っており、この後半では天気予報を放送していたが、木曜日は「TVKニュース」が21:55からニュースのみを放送となっていた（天気予報が省かれていた）。&lt;br /&gt;
2005年には、ベイエフエム (bayfm) で「WEATHER NEWS」という番組（毎週日曜日20:30）を放送、主に携帯サイト用の動画収録の裏話などを取り上げていた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;社是 &lt;/p&gt;

&lt;p&gt;人は遊ぶ時、とにかく楽しんでいる。&lt;br /&gt;
人は遊ぶ時、冒険心を持っている。&lt;br /&gt;
人は遊ぶ時、自分の意志で遊ぶ。&lt;br /&gt;
人は遊ぶ時、自己責任で行動する。&lt;br /&gt;
人は遊ぶ時、失敗を恐れない。&lt;br /&gt;
人は遊ぶ時、新たな発見をする。&lt;br /&gt;
人は遊ぶ時、自分を磨くことを覚える。&lt;br /&gt;
人は遊ぶ時、自由人である。&lt;br /&gt;
人は遊ぶ時、知れば知るほど、やればやるほど面白くなり、上手くなればなるほど、さらに面白くなることを知る。&lt;br /&gt;
人は好奇心から遊びを見つける。好奇心旺盛な人はたくさん遊ぶ。&lt;br /&gt;
人は遊びから自分の隠れた才能をいだす。&lt;br /&gt;
人は遊びから天職を見いだす。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;事業内容 &lt;/p&gt;

&lt;p&gt;モバイルコンテンツサービス&lt;br /&gt;
携帯電話をメインに据えた全世界サービス網を持ち、課金システムはローカライズされている[12]が、主な機能は日本に集約している。システム規模は世界最大で、日本でも携帯電話の有料お天気サイトでは会員数トップの約160万人の有料会員がいる[出典 68]。2004年4月にau・EZチャンネルへ携帯電話向け初の天気動画チャンネル[13]として始まった携帯サイト連動型動画番組「ウェザーニュース」（現在の「おは天」）は、その後、EZweb、NTTドコモ・FOMA、ボーダフォン（現在のソフトバンクモバイル）・ボーダフォンライブ!（現在のYahoo!ケータイ）に対応[14]し、更に2005年2月から韓国のKTフリーテル（現在のKTF）で、同年9月から台湾のFarEasToneでも同様の番組が提供され、韓国進出時に実施されたお天気キャスターの一般公募はその後進出した台湾、更に日本でも実施されている（日本については、現在は一般公募を休止している）。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;航空気象コンテンツサービス&lt;br /&gt;
航空管制からフライトプラン作成用資料の提供など大型旅客機・航空貨物パイロット向けのサービスと、山岳地における低高度気象情報の提供など地域航空向けのサービスを行っている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;海運気象コンテンツサービス&lt;br /&gt;
航路上の気象状況を気象衛星および同社所有の海上ブイからのテレメトリ情報をもとに、航路最適化・寄港地における気象状況といったサービスを提供している。&lt;br /&gt;
停泊船舶の安全管理の必要性が高まる中、OPO（Optimum PortOparation、停泊船舶保全サービス）が提供された。これは停泊中の本船への台風、爆弾低気圧の接近の告知や荒天の状況を運行海運業者と当該船舶に対し発信するサービスである[15]。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;海上気象コンテンツサービス&lt;br /&gt;
石油掘削基地をはじめ、海上で固定的に運用する設備向けの気象情報サービスである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;流通気象コンテンツサービス&lt;br /&gt;
コンビニエンスストア等における、気象状況に応じた発注情報の最適化サービスを提供する。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;放送気象コンテンツサービス&lt;br /&gt;
幕張グローバルセンター内に、3つのテレビスタジオ（携帯電話向け動画収録も兼ねる）があるWNI SITEと、予報業務の中枢であるGPEC（グローバル気象予報センター）内にも放送ブースを有し、自社制作による気象映像番組を、テレビやインターネットで配信している。国内唯一のBSデジタルデータ放送における気象専門チャンネルを保有する他、J:COM[出典 69]など各地のケーブルテレビ局への気象情報番組の提供（これらは、子会社のダブリュエックス二十四を通じて供給）、自社ウェブサイトや、MSN Japan・BIGLOBEストリームなどの国内ポータルサイト向け、海外に対しても気象番組の配信を行っている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;報道気象コンテンツサービス&lt;br /&gt;
気象予報士や放送技術とノウハウを国内地上波テレビ・ラジオ局に提供している（地上波民放テレビ局の場合、主にテレビ朝日系列局を中心に配信。さらに基本的にキー局TBSから加盟各局全てに予報画面等の配信を行っているJNNにも気象データの提供を行っている[16]。国内テレビ局における同社のシェアは70%を超えている（後述）。また、テレビ各局で使用されている天気予報の自動音声システムも自社開発している[17]。伝送媒体に通信衛星から海底ケーブルまで幅広いラインナップを持っており、同社の営業社員の大半は気象予報士である。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;道路気象コンテンツサービス&lt;br /&gt;
気象情報による一般道路・高速道路の速度制限やトラフィックマネジメントといった基本的なサービスのほか、コンサルタントによる運用アドバイスなど幅広いノウハウと技術提供を行っている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;防災気象コンテンツサービス&lt;br /&gt;
河川防災など基本的サービスの他、地域ケーブル局と連携し住民に避難情報の勧告、リアルタイムなデータの提供などを行っている。また同社はBSデジタル放送局であるため、地域放送局が壊滅的ダメージを蒙っても情報を供給することができる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;鉄道気象コンテンツサービス&lt;br /&gt;
運行指令業務サービスを基本に、災害情報、また同社得意の限定地域における短期間予測によるサービスによって設備改修作業における情報の提供を行っている。また、近年の突風・竜巻・ゲリラ雷雨などの災害による安全運行規制を支援するサービスも行っている[15][出典 70]。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;トラベル気象コンテンツサービス&lt;br /&gt;
旅行産業市場事業者や屋外施設運営を行なう事業者に、気象情報を提供し、旅行日程調整や施設運用可否判断といったサービスパッケージを用意している。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;スポーツ気象コンテンツサービス&lt;br /&gt;
各種スポーツ設備運営業者をはじめ、開催日程や設備運用可否判断といったサービスを提供している。同社はFIFAワールドカップを主催している国際サッカー連盟、正月の大型スポーツイベントの一つでもある箱根駅伝[18]、選抜高等学校野球大会・全国高等学校野球選手権大会を主催している日本高等学校野球連盟（1983年-）とも提携・協力している[出典 71]。さらに高校野球の地方大会でも、別のスポーツで発生した落雷事故の裁判で主催者と高校に巨額の損害賠償を命じたことを受けて、2009年は埼玉・千葉・静岡・兵庫・宮崎各県の高野連にも気象情報を提供した[出典 72]。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;動気候コンテンツサービス&lt;br /&gt;
農作物収穫スケジュール作成に必要な情報を提供し、また同社が世界規模で気象庁を買収もしくは提携している事により、エルニーニョ現象などによる異常気象発生の予測など広域気象情報サービスを行っている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;電力気象コンテンツサービス&lt;br /&gt;
電力・ガスなど動力施設に対して、気象による需要変化の予測サービスを提供し、電力潮流制御や燃料調達計画を支援している。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;工場気象コンテンツサービス&lt;br /&gt;
気象に基づく生産管理支援、落雷など動力への支障発生を予測するサービスを提供している。同社は多くの電力会社、ガス会社と提携しており、それらの提携先から入手した情報をフィードバックし、サービスを提供している。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;健康気象コンテンツサービス&lt;br /&gt;
花粉発生予測、紫外線情報、熱線情報を総合的に扱っており、健康管理における目安となるサービスを提供している。このサービスはBSデジタルデータ放送、ケーブルテレビ放送から入手できる他、提携している病院からも情報を得ることができる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;童理気象データサービス&lt;br /&gt;
本サービスは特定の物を扱っているものではない。同社は24時間365日、基本となる気象情報から、日本・アジア・米国・欧州それぞれに最適化し基本情報のほか応用情報を用意、各種教育機関、研究機関に情報提供している。同社におけるサービスの基幹でもあり、他のサービスにおけるデータソースでもある。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>日記・コラム・つぶやき</dc:subject>

<dc:creator>やあっさん</dc:creator>
<dc:date>2010-07-09T16:10:57+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://tosiyas.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/the-university-.html">
<title>東京大学（とうきょうだいがく、英語: The University of Tokyo）</title>
<link>http://tosiyas.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/the-university-.html</link>
<description>概観 大学全体 赤門 法文2号館アーチ 東京大学は日本の国立大学である。東京大学...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;概観 &lt;/p&gt;

&lt;p&gt;大学全体 &lt;/p&gt;

&lt;p&gt;赤門&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;法文2号館アーチ&lt;br /&gt;
東京大学は日本の国立大学である。東京大学は江戸幕府の昌平坂学問所や天文方、さらに種痘所からの流れを汲み、欧米諸国の諸制度に倣い、日本で初めての近代的な大学として設立された。後に、政府直轄の大学となり「帝国大学」と改称した。その後、京都帝国大学設置に伴い、「東京帝国大学」と改称した。第二次世界大戦後、「国立東京大学」となった。国立大学法人化でも、旧7帝国大学全てにおいて統合はない。付置研究機関もしくは附属研究所が、大学共同利用機関化されると同時に、新たな研究科などが新設され、現在の陣容になる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;憲章 &lt;br /&gt;
東京大学は特に創立時に定められた建学の精神はない。しかし、国立大学法人化に伴い、現在は「東京大学憲章」というものが定められている。東京大学憲章は、「大学」としての使命を公に明らかにすることと、目指すべき道を明らかにすることを目的として学内有識者会議によって制定されたものである。学部教育の基礎としてリベラル・アーツ教育を重視することを謳っている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;教育および研究 &lt;br /&gt;
東京大学はキャンパスによって教育内容・研究内容を異にする。教育内容の面からは、主に教養課程を実施する駒場キャンパス、専門教育を行う本郷キャンパス、大学院課程のみの教育を行う柏キャンパスに分けられる。また研究内容の面からは、伝統的な学問領域の研究を行う本郷キャンパス、学際的な研究を行う駒場キャンパス、新しい学問領域の研究を行う柏キャンパスに分けられる。こうしたキャンパス分立体制は、学部によってキャンパスを分けることの多い他の大学では珍しい形態である。さらに現在でも入学時の教養課程を分化し設置している大学も日本では数が少なく、日本国内では珍しい存在となっている（詳しくは、学内組織の欄を参照。現在もカレッジ制を採用している大学でもあるからである。つまり、駒場カレッジ、本郷カレッジ、柏カレッジと呼んでも良い。設立経緯にもあるように、大学予備門・大学・工部大学・東京開成学校・東京医学校などの統合によって生まれた大学でもあるからである）。&lt;br /&gt;
上述したとおり、リベラル・アーツ教育（教養教育）を重視しているのが東京大学の教育の大きな特徴である。教養教育は教養学部前期課程として開講されているが、その実施には東京大学のすべての学部・研究科・研究所が参加している[1]。主に担当する教養学部では、各大学1件ずつしか応募できない[2]特色ある大学教育支援プログラムに「教養教育と大学院先端研究との創造的連携の推進」で応募したことが、大学として教養教育を重視していることの現れであるとしている[3]。教育内容の詳細は東京大学大学院総合文化研究科・教養学部を参照。&lt;br /&gt;
現在においては、東京大学のより一層の国際化推進を図り、総長直轄の本部組織である国際連携本部を中心とした国際化推進計画が進行中である。&lt;br /&gt;
2008年現在、ノーベル賞受賞者の中で、東京大学が博士号学位授与した卒業生は4名、学士の学位を授与した卒業生は6名となっている[4][5][6]。&lt;br /&gt;
国立大学法人になって以降、積極的な改革を行いつつある。商標登録などのブランド力向上の施策（#シンボルマークを参照）、知的財産移転に関する関連団体の設立、任期付講師の積極的な外部からの登用、学外識者も参加する大学運営理事会などである。また、教育というサービスを提供する観点から、学内にレストランやコンビニエンスストアなど外部テナントの誘致を進めてきた。本郷キャンパスにはスターバックスコーヒーやサブウェイ、ローソンなどが店舗を構えており、医学部研究棟にはイタリアンレストランが入るなど、アメリカの大学キャンパスに見られるような施設誘致が成されている。 情報発信を強化する観点から、学生によるホームページの運営[7]なども行っている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;沿革 &lt;/p&gt;

&lt;p&gt;東京大学 (1877-1886)も参照のこと&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
「東京大学発祥の地」の碑。学士会館内（東京都千代田区神田）&lt;br /&gt;
略歴 &lt;br /&gt;
東京大学の起源は、1684年（貞享元年）に江戸幕府が設立した天文方と、1858年（安政5年）に江戸の医者の私財によって設立された神田お玉ヶ池種痘所、1797年（寛政9年）に創設された昌平坂学問所（昌平黌）である（1871年に廃止されたため組織的に直接のつながりはない）。&lt;br /&gt;
天文方はその後、1857年（安政4年）に蕃書調所、1862年（文久2年）に洋書調所、1863年（文久3年）に開成所と変遷していった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;また、種痘所も1860年（万延元年）に江戸幕府へ移管された後、1861年（文久元年）に西洋医学所、1863年（文久3年）に医学所と変遷していった。&lt;br /&gt;
これら3つの江戸幕府直轄の教育機関は、明治政府が1868年（明治元年）に、開成学校、医学校、昌平学校として復興した。それぞれ洋学、西洋医学、国学・漢学の教育機関であったが、1869年（明治2年）にはこれらを統合するため、昌平学校が大学校（本校）となり、開成学校および医学校が大学校分局とされた。同年のうちに大学校、開成学校、医学校は大学、大学南校、大学東校と改称されたが、1870年（明治3年）には学制改革により大学が閉鎖されてしまう。1871年（明治4年）に大学は廃止され、大学南校、大学東校は南校、東校と改称された。両校は1874年（明治7年）にそれぞれ東京開成学校、東京医学校と改称された。1877年（明治10年）4月12日に東京開成学校と東京医学校が合併して東京大学となり、日本で初めての近代的な大学が設立された（なお、4月12日は現在「東京大学記念日」となっており、この日に入学式が行われている）。&lt;br /&gt;
本稿ではこの経緯から創立は天文方の設置年である1684年、設立は東京大学が誕生した1877年としている（なお、日本最古の大学については大学寮参照）。東京大学設立後の沿革については以下の年表を、歴代の総長については歴代総長を参照のこと。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;年表 &lt;br /&gt;
明治 &lt;br /&gt;
1877年（明治10年）4月12日 東京開成学校と東京医学校が合併し「東京大学」設立[8]&lt;br /&gt;
1878年（明治11年）12月 文部省、東京大学に学位（学士号）の授与権を与える&lt;br /&gt;
1879年（明治12年）4月 東京大学の授与する学士号を法学士・理学士・文学士・医学士・製薬士とする&lt;br /&gt;
1880年（明治13年）8月 法理文の3学部に学士研究科を設置（大学院の前身）&lt;br /&gt;
1881年（明治14年）6月 東京大学職制を制定（東京大学に総理を置き、4学部と予備門を統括）&lt;br /&gt;
1884年（明治17年）10月 東京大学副総理を置く&lt;br /&gt;
1885年（明治18年）9月 東京法学校を法学部に統合。工芸学部設置（理学部より分割）&lt;br /&gt;
1886年（明治19年）3月 工部大学校を統合し、帝国大学令により「帝國大學」と改称[9]&lt;br /&gt;
1887年（明治20年）7月 分科大学卒業生に授与する学士号は称号とし法学士・医学士・薬学士・工学士・文学士・理学士とする&lt;br /&gt;
1888年（明治21年）11月 東京天文台を設置&lt;br /&gt;
1890年（明治23年）6月 東京農林学校を統合し、農科大学を設置&lt;br /&gt;
1897年（明治30年）6月 京都帝国大学の設置に伴い「東京帝國大學」と改称&lt;br /&gt;
大正 &lt;br /&gt;
1916年（大正5年）4月 伝染病研究所を設置。&lt;br /&gt;
1919年（大正8年）2月 分科大学制を廃し学部を設置。経済学部を新設&lt;br /&gt;
1921年（大正10年）4月 学年を4月1日から翌年3月31日までとする&lt;br /&gt;
-----同年------ 7月 航空研究所を設置&lt;br /&gt;
1925年（大正14年）11月13日 地震研究所を設置&lt;br /&gt;
昭和（東京帝国大学） [編集]&lt;br /&gt;
1939年（昭和14年）1月 平賀粛学により、経済学部が壊滅状態となる&lt;br /&gt;
1941年（昭和16年）11月 東洋文化研究所を設置&lt;br /&gt;
1942年（昭和17年）3月 千葉県千葉市に第二工学部を設置[10]&lt;br /&gt;
1944年（昭和19年）1月 南方自然科学研究所を設置&lt;br /&gt;
1945年（昭和20年）1月 輻射線化学研究所を設置&lt;br /&gt;
1946年（昭和21年）3月 南方自然科学研究所を改組して立地自然科学研究所を設置、航空研究所を改組して理工学研究所を設置&lt;br /&gt;
-----同年------ 8月 社会科学研究所を設置&lt;br /&gt;
1947年（昭和22年）9月 「東京大学」に改称&lt;br /&gt;
昭和（東京大学:新制） [編集]&lt;br /&gt;
1949年（昭和24年）5月 旧制第一高等学校・旧制東京高等学校高等科を併合し、新制の東京大学となる[11]。新聞研究所を設置&lt;br /&gt;
1950年（昭和25年） 輻射線化学研究所を廃止　(月は不明）&lt;br /&gt;
-----同年------ 5月 文学部附属の史料編纂所を東京大学附置研究所とする&lt;br /&gt;
1951年（昭和26年）3月 教育学部附属中学校・高等学校を設置、第一工学部、第二工学部を改組[12]&lt;br /&gt;
1952年（昭和27年） 立地自然科学研究所を廃止（月は不明）&lt;br /&gt;
1953年（昭和28年）3月 新制の大学院を設置（人文科学・社会科学・数物系・化学系・生物系の5研究科）&lt;br /&gt;
-----同年------ 7月 応用微生物学研究所、宇宙線観測所（全国共同利用研究所）を設置&lt;br /&gt;
1955年（昭和30年）3月 全国共同利用研究所として原子核研究所を設置&lt;br /&gt;
1957年（昭和32年）4月 全国共同利用研究所として物性研究所を設置&lt;br /&gt;
1958年（昭和33年）4月 薬学部設置。[13]理工学研究所を改組し航空研究所を設置&lt;br /&gt;
1962年（昭和37年）4月 前期課程の4科類（文科一類・二類、理科一類・二類）を6科類に再編。全国共同利用研究所として海洋研究所を設置&lt;br /&gt;
1963年（昭和38年）4月 大学院人文科学研究科・社会科学研究科を改組し、人文科学・教育学・法学政治学・社会学・経済学の5研究科を設置&lt;br /&gt;
1964年（昭和39年）4月 航空研究所を改組し全国共同利用研究所として宇宙航空研究所を設置&lt;br /&gt;
1965年（昭和40年）4月 大学院数物系研究科・化学系研究科・生物系研究科を改組し、理学系・工学系・農学系・医学系・薬学系の5研究科を設置&lt;br /&gt;
1967年（昭和42年）6月 伝染病研究所を改組して医科学研究所を設置&lt;br /&gt;
1969年（昭和44年）2月 東大紛争の余波で入学試験見送り&lt;br /&gt;
1976年（昭和51年）5月 宇宙線観測所を宇宙線研究所に改組&lt;br /&gt;
1981年（昭和56年）4月 宇宙航空研究所を廃止（→宇宙科学研究所）&lt;br /&gt;
1983年（昭和58年）4月 大学院総合文化研究科を設置&lt;br /&gt;
1987年（昭和62年）5月 先端科学技術研究センターを設置&lt;br /&gt;
1988年（昭和63年）7月 東京天文台を廃止（→国立天文台）&lt;br /&gt;
平成 &lt;br /&gt;
1991年（平成3年）4月 大学院重点化を開始&lt;br /&gt;
1992年（平成4年）4月 大学院数理科学研究科を設置&lt;br /&gt;
1993年（平成5年）4月 応用微生物学研究所を分子細胞生物学研究所に改組&lt;br /&gt;
1994年（平成6年）4月 大学院農学系研究科を大学院農学生命科学研究科に改称&lt;br /&gt;
-----同年----- 6月 地震研究所が全国共同利用研究所となる&lt;br /&gt;
1995年（平成7年）4月 大学院社会学研究科を廃止し、人文科学研究科を人文社会系研究科に改組&lt;br /&gt;
1997年（平成9年）4月 大学院重点化が完了。原子核研究所を廃止（→高エネルギー加速器研究機構）&lt;br /&gt;
1998年（平成10年）4月 大学院新領域創成科学研究科を設置&lt;br /&gt;
2000年（平成12年）4月 大学院情報学環・学際情報学府を設置。教育学部附属中学校・高等学校が中等教育学校へ移行&lt;br /&gt;
2001年（平成13年）4月 大学院情報理工学系研究科を設置&lt;br /&gt;
2003年（平成15年）3月 東京大学憲章を制定&lt;br /&gt;
2004年（平成16年）4月 「国立大学法人東京大学」となる。特別栄誉教授制度を創設。大学院の改組。[14]先端科学技術研究センターを附置研究所へ転換。&lt;br /&gt;
2005年（平成17年）4月 全学的な海外学術交流拠点として北京代表所を設置&lt;br /&gt;
2006年（平成18年）1月 国際研究型大学連合(IARU)発足&lt;br /&gt;
2007年（平成19年）10月 「数物連携宇宙研究機構」発足&lt;br /&gt;
-----同年------ 11月 東大-イェール大学・イニシアティブ設立&lt;br /&gt;
2009年（平成21年）1月 東大・慶應レセプションの開催&lt;br /&gt;
-----同年------ 10月 東京大学放射光連携研究機構 物質科学ビームライン完成&lt;br /&gt;
2010年（平成22年）4月 海洋研究所、気候システム研究センターを統合改組して大気海洋研究所を設置&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>日記・コラム・つぶやき</dc:subject>

<dc:creator>やあっさん</dc:creator>
<dc:date>2010-07-09T16:04:57+09:00</dc:date>
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